オートバックスの役割は、購買を通してお客さんに楽しんでもらい、最終的には“安全”を届けること。先代からも「タイヤを売ったらあかんぞ」と口すっぱく言われていた。
「例えば、タイヤ交換に来たお客さまに話を聞くと、ハンドル操作が思うようにいかず、ブレーキを踏んだらお尻を振ってしまうと仰って。そこで、その方が本当に求めているのはスタビライザーだと気付いたんです。このときは文字通りタイヤを売らず、スタビライザーを付けました」
お客さんとの対話を通して、本当に求めているものを提供する。「難しい顔をしてお店に来た方も、帰るときはニコっと満足して帰ってもらう。それを毎日心がけていたので、お笑いとは遠い世界にあるとは、全然思ってなかったんです」と振り返る。
「うちの社長は何言うとるんや」
しかし、住野の想像とは違い、社内では「なぜ成功するかもわからないお笑いプロジェクトに出資するのか」と、反対意見が多かった。国内の最高峰のレースである「スーパーGT」への参戦・出資などモータースポーツへの出資をしていたなかで、M-1よりも、まだ手を付けていなかったF1のスポンサーを勧める声も多かった。それでも住野がM-1に魅力を感じたのは、オートバックスセブンが抱える課題にマッチしていたからだ。「車が好きな人には、すでにオートバックスの名前を知っていただいている状況でした。我々としては、もう少し顧客の裾野を広げたいフェーズでしたので、車好きの人が見ているモータースポーツに出資するのは違うと考えました」。
特に住野が惹かれたポイントは、プロの芸人だけを対象としていないという点だ。テレビで有名な芸人もアマチュアの学生芸人も、2000円を払ったら誰でも参加できる、地域のカラオケ大会のような仕組みが面白いと感じた。
谷に前向きな返事をした後、役員会の承認を得るための説得には骨が折れた。「僕らが売っているのは商品じゃない。商品を通じて喜びを売ってるんやと話しましたが、半分くらいの人は『うちの社長は何言うとるんや』みたいな感じで聞いていました」
そんな中、決勝を生放送する放送局も決まり、参加者の募集や予選が進んでいった。谷からは承認の進捗を何度も聞かれる。追い込まれた住野は、「今更ひっくり返すことはできない。信用がなくなってしまう。社長の顔を立ててくれ」と懇願し、役員会の承認を得た。そうしてM-1の決裁書に判が押されたのは12月25日、M-1決勝当日の朝だった。
ところが、大きかったはずの反発は、一夜明けると逆転した。決勝の翌日、オートバックスセブンの本社を訪れた谷に「おかげさまで視聴率21%(関西地方)を取れました」との報告を受けると、従業員も大喜び。「『心から賛成していた』『やっぱり良いと思った』とお客さんや取引先に、まるで自分の手柄のように話す従業員が増えましたね(笑)」
その後M-1グランプリは、2010年の第10回で一度終了したものの2015年に復活。M-1の舞台で活躍した芸人が“売れる”という流れもできた。参加者数も年々増えて、プロの芸人だけでなく子どもから社会人までアマチュアの裾野も広がり、2023年は史上最高の8540組が参戦。日本を代表するお笑い賞レースに成長した。
「今振り返ると、結果的にこれだけ大きな漫才ブームをつくることに成功したので、本当に快挙です。大発明ですね」
2001年当時のエピソードは、2023年11月に発売された谷良一の著書『M-1はじめました。』にも収録されている(東洋経済新報社)