思えば1980年代、川久保玲や山本耀司は「西洋と闘う」ために、日本の歴史を援用してパリコレに「殴り込み」をかけました。カラフルな西洋に対する、墨黒の日本。洗練と豪華さを競う西洋に対する、穴あきボロのわびさびの日本。ボディコンセクシーの西洋に対する、オーバーサイズで性別不詳の日本。左右対称の西洋に対する、非対称の日本。
彼らが日本の歴史から持ち出してきた「日本的要素」は80年代の日本の現実にはほぼ息を潜めている要素でしたが、「日本の伝統」を背負うわかりやすいアンチテーゼは、当時の海外メディアに「ヒロシマ・ショック」とまで書かれて、世界に衝撃を与えました。
その後、「文化の盗用」といった概念もまだ存在しない世界のなかで、日本と西洋の文化交流も進んですっかり融合し、高橋さんの世代は子供のころからイタリアンやフレンチといった料理も日常の選択肢として食べて育っています。高橋さんの親世代にとって「スパゲッティを食べる」ということがやや特別なイベントであったことを思うと、隔世の感があります。
西洋発のファッション、たとえばスーツを筆頭にドレスやリボンやフリルやコルセットにしても、ごくあたりまえに日本の日常のなかに溶け込んでいます。だからドレスの歴史に見出されるパニエやコルセットのモチーフを取り入れることは、まったく違和感も抵抗もない、というわけです。
そのように西洋文化が日常に溶け込んだ現実の中で高橋さんがデザインするもう一つの特徴的な型に、ボディラインにフィットしながらもボディ本来の形を曖昧にしてしまう凸凹があるニットドレスがあります。
ある批評家は「アライアとイッセイ・ミヤケがメタバース上で融合した服」という表現をします。アライアのようにボディコンシャスでありながら、イッセイ・ミヤケのようにテクノロジーを駆使された機能性と無機質感があり、環境に配慮した新素材から近未来感も漂う、ザ・CFCLスタイルです。
きわめて西洋的とされる80年代のボディコンを基調として採択しながら、実は高橋さんなりに「日本の歴史」から抽出したエッセンスをブレンドしています。それは、「日常に溶け込みながら、主役にはならない」という民芸運動の精神。はっとさせられました。そんな意外な歴史的要素の融合を、イッセイ・ミヤケで修練を積んだ文脈のなかで結晶させた作品というわけです。
だからどうだ、という結論があるわけではないのですが、そんな風に一つの作品から西洋の歴史、埋もれがちだった日本の歴史、西洋と日本との関係の歴史といったさまざまな歴史の味わい方ができるファッションは、軽やかで近未来的な雰囲気を醸しながらも重層的な深みを感じさせ、それゆえ、国境を越えて支持を得ているのだなと感じ入った次第です。