健康

2023.10.15

「きょうだい児」にもケアを 名大病院から生まれた、こどもホスピスの芽

名古屋大学小児科病棟で勤務を始めたころの佐々木美和さん。チャイルド・ライフ・スペシャリストとして多くの子どもたちの心を支えてきた

全国有数の小児がん治療拠点・名古屋大学医学部附属病院(名古屋市昭和区)は、各地から紹介されてくる難治性の子たちの光と影が、色濃く交差する世界だ。病棟のスタッフもさまざまな苦悩を抱える中、病院とは異なる空間「こどもホスピス」の実現をめざす動きが生まれてきた。(前編は下記のリンクから)
 
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看過されがちな「きょうだい」の気持ち

名古屋大学の大学院で小児看護の准教授を務める新家(にいのみ)一輝さん(44)は、新人看護師として同病院の小児科病棟で働いていた時代に「入院している子のきょうだいのケア」の問題にぶつかった。
 
長く関わっていた急性リンパ性白血病の男の子が集中治療室で亡くなったとき、戻った小児科病棟の扉の前に父親と妹がいた。「2年間もかかわっていた子だったのに、妹さんの名前さえ知らなかったって気づいて、頭が真っ白になりました」。
 
小児科病棟では、感染症対策を理由に中学生以下の兄弟姉妹は入れない。日ごろ患者や付き添う母親とは密接にかかわっていても、家族の一員である妹に注意を向けずにいた。それがショックで、声をかけることもできず、逃げるように場を離れてしまった。
 
名古屋大学大学院で小児看護を教える新家さん

名古屋大学大学院で小児看護を教える新家さん

再生不良性貧血の治療に臨む幼い男の子を担当したときも、きょうだいの気持ちを考慮することができず、苦い経験をした。
 
骨髄移植が必要な病状になり、小学校高学年の姉と白血球の型(HLA)が一致した。新家さんらスタッフは、その幸運を喜ぶあまり、ドナーとなる姉の不安や、もやもやした気持ちを酌むことができなかった。
 
手術当日。骨髄採取する姉の病室に迎えに行くと、もぬけの殻。気づかれないうちに抜け出していた。手分けして探したら、病棟の窓の下に広がる都市公園で、新緑の並木道をあてもなく歩いていた。予定通りに手術を行うことはできたが、病状の回復は今一つで「できればもう一度、骨髄移植を」と治療方針が立てられた。両親から意向を聞かれた姉は、強い口調で拒否した。「もう絶対にドナーにならない。それで弟が死ぬことになっても構わない」と。
 
周りの関心は、弟のことばかり。だれも私の気持ちを考えてくれない。日ごろ我慢を強いられてきた姉の憤りに、新家さんは責任を感じた。「お姉ちゃんは、弟が死んでもいいって言った後ですぐに後悔したと思うんです。ぼくらがきちんとかかわっていたら、そんなに追い詰めずに済んだのでは」。

「きょうだいの会」が続々誕生する理由

2004年。25歳になった新家さんは「きょうだいの研究をしたい」と思い立ち、大阪大学大学院に進んだ。大阪で出会ったのが、きょうだい支援のボランティアグループしぶたね(現在のNPO法人しぶたね)。難病の弟とともに思春期を過ごした清田悠代さんが立ち上げたばかりの小さな団体だった。研究の傍ら、活動に加わり、病棟に入れない兄弟姉妹の遊び相手を務め、年2回の「きょうだいさんの日」には、「たねまき戦隊シブレンジャー」の一員として登壇し、きょうだいたちと遊ぶ。重い病気や障害のある子のきょうだいが安心して暮らせる社会を目指すという意味の「たねまき」だ。
 
「たねまき戦隊シブレンジャー」のシンブラックに扮した新家さん

「たねまき戦隊シブレンジャー」のシンブラックに扮した新家さん

09年、イギリスのこどもホスピス「ヘレンハウス」創始者のシスター・フランシスさんを招いた講演会が行なわれたことをきっかけに、日本初の独立コミュニティー型こどもホスピス「TSURUMIこどもホスピス」(大阪市鶴見区、2016年開設)の設立を目指す運動が広がった。
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文=安藤明夫

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