名古屋大に教員として戻った2010年。名大小児科では、国内でもまだ少数だった「子どもの心を支える専門職」のチャイルド・ライフ・スペシャリスト(CLS)の佐々木美和さんを雇用し、子どもが主役の環境をめざす雰囲気が生まれていた。
新家さんは、佐々木さんと組んで、きょうだいたちを招く「きょうだいの会」を立ち上げた。その常連となった中学生の女の子から「みんなと遊ぶのもいいけど、気持ちをじっくり話せる場もほしい」とリクエストを受け、18年からは「だいたい10歳からのきょうだい会」も新設した。
同じ立場のこども同士で語られる思い、アンケートにつづられる本音に、新家さんはピアサポートの大切さを再認識した。
学校から帰宅しても「ただいま」に返事してくれる人がいない。学校に行っても先生が尋ねてくるのは「入院中のきょうだい」のこと。自分という存在をだれも気にしてくれない。治療が家族の絆を引き裂いているようにも、新家さんには思えた。
佐々木さんは、CLSの資格を得るためのアメリカ留学中に、こどもホスピスでボランティアを務めた経験があり、医療者も地域の人たちもフラットな関係で参加する空間に温かさを感じた。
「この10年、在宅でお子さんをみとるご家族も増えてきた。特にコロナ禍の間は、病院内の制限も厳しくなり、ボランティア活動もすべて止まって、みんなつらい思いをしました。地域の中で家族と一緒に安心安全に過ごせる場があれば、その子がどう生きるかの選択肢も増えます」
「こどもホスピス」設立を夢見る仲間とともに
同じ時期に、こどもホスピスを夢見ていた仲間が、名大小児科の看護師や大学教員の経験を持つ畑中めぐみさん(44)だった。
畑中さんは、学生時代にこどもホスピスを体験するためにアメリカに渡るなど、強い関心を持っていた。その原動力は、自身の小学生時代の闘病体験。腎臓の病気で入院した際、「テレビも本も運動もダメ」の規則ずくめが嫌でたまらず、早く退院したくて、検尿のコップにこっそり水を加えて薄めたり、薬を飲まずに捨てたりもした。両親の関心が自分だけに向くことを、弟、妹に申し訳ないと思ったりもした。
闘病する子の気持ちを支えたいと小児看護の道に進んだが、現実は納得できないことも多かった。
病棟で入院中の子が亡くなったとき、周りの子は自然に気づくことが多いのに「事実を伝えてはいけない」のが看護のルールで、闘病仲間を亡くした子の不安に寄り添えないことがとても苦しかった。家族との最期の時間よりも治療をあきらめない医師の姿勢に、腹を立てたりもした。