──7月28日にご自身のSNSとTOYOTA GAZOO Racingのプレスリリースで引退を発表されました。シーズン最中の引退発表も異例と言えますが、このタイミングについて聞かせてください。
日にちに特別な理由はなく、6月の第3戦の後に決断してチーム、トヨタに伝え、そういう気持ちになったからにはシーズンが終わってからの発表ではなくて、ファンの皆さんにもシーズン中なるべく早くに伝えたい、そして残りのレースを応援してもらいたい、という話をしました。
ある意味、自分勝手に決めた引退でしたがみんな賛同してくれて、どうせなら8月の第4戦・富士の前に発表を、と言ってくれました。僕といえば富士スピードウェイのイメージも強い(9回優勝・ポールポジション11回の記録を持ち、「富士マイスター」とも称された)し、トヨタのホームコースでもあるので。また、そうすれば鈴鹿、スポーツランドSUGO、オートポリスで関西〜東北〜九州のファンに最後の走りを見に来てもらえますから。
僕自身はもう少し先になるのではないかと思っていましたが、数週間の間にすべて調整して、第4戦前日の8月4日に記者会見を開いてくれたり、特別なイベント演出をやってくれたりと、色々な準備をしてくれました。本当に感謝しています。
苦しみながら、向き合い続けた「プレッシャーと緊張」
──先ほど「プレッシャーや責任からようやく解放される」という言葉が出ましたが、それらは立川さんにとって、どういったものでしょうか?例えば、レースの前の日なんかは眠れないですよね。寝てると言っても、レースのイメージをしながら寝てるし、一旦眠ったら朝までぐっすり、なんてこともなく、しょっちゅう起きちゃう。
予選の前もスタート前も、すごく緊張します。気持ち悪くなっちゃうぐらいです。
例えば予選でポールを獲って、次の日スタートする時は嫌でしたからね。もちろんポール獲った時は嬉しいんですよ、一番速いという証明ですから。でも決勝が近づいてくると、後ろから追われるイメージしか出てこない。優勝しか許されないぞ、とか。心が弱いんでしょうね。
──歴代最多記録で24回もポールポジションを獲得されていますけど...。
自分で自分の首を絞めるみたいな感じですよね。俺が一番優勝に近いところにいるんだから勝つぞ!みたいな、そういう前向きな考えでいられなかったんです。あーどうしよう、後ろにいっぱいいるな、みたいな(笑)。今でもそんな感じですよ。
──その後ふっと姿を消して、戻ってきてからはすっとヘルメットをかぶって乗り込む、といった印象なのですが、どうコントロールして、どこでモードを切り替えているのでしょうか?
ある程度そうやってぼやいて、多少緊張を和らげて、メットをかぶったら覚悟を決めた感じですかね。その後は大体すぐ車に乗り込む感じですけど、こういうふうに走る、といったシミュレーションを頭の中でしています。その通りになることはほとんどないんですけどね(笑)。
走るイメージを始めたら、あとは自然に集中していくみたいです。ずっと緊張はしていますけどね、走り出すまでは。