また、危機迫る中で大統領が核兵器を使用しない選択をした場合、使用を強制できる高官もいない。米大統領の核兵器統制権は、危機下で本人の死亡が確認されでもしない限り、絶対的である。
そして危機のさなかに米大統領が命を落とすシナリオは、十分あり得ることだ。理性的な敵国が核攻撃を仕掛けてくるもっともらしい状況は、奇襲攻撃によって米国の報復戦力を低下させられる確信がある場合となる。おそらく敵はまず政権中枢を標的にする「首切り攻撃」で首都ワシントンを破壊し、指揮系統が再編成される前に素早く核戦力を標的にするだろう。
米戦略軍は、このような攻撃の成功を阻むための訓練を絶えず行っているが、核を保有する敵が危機下でどのように行動し、どのような選択をするかを知るすべはない。
たとえば、ロシアが作戦海域として有利なバミューダ諸島の西側に潜ませた潜水艦からワシントンへの攻撃を開始したら、バイデン大統領に残された対応時間は10分もないかもしれない。大統領はその短い時間内に攻撃の警告を確認し、攻撃が及ぶ範囲を推定し、専門家と協議した上で、適切な発射オプションを選択して米核部隊に自身の決定を伝えなくてはならない。
核通信システムは常に大統領の手近にあるとはいえ、報復オプションの概要や発射命令の有効性を証明する認証コードなど、10分間にこなすべきことは山のように多い。
だからこそパラドックスなのだ。大量破壊兵器を確実に管理するために数百億ドルを費やした指揮統制システムにおいて、システムの頂点に立つ最終決定者は、発射権限に何の制約も受けない。
この足かせのない権限は、明白な緊急事態でなくとも有効だ。今日バイデン大統領が核発射命令を出したとして、実行を阻止し得る唯一の方法は、部下が宣誓を破って命令違反をすることしかない。たとえ大統領が認知能力の低下や神経症に苦しんでいるようだったとしても、である。
米軍が核の指揮統制システムの改善努力を重ねてきた割に、大統領の一方的な発射権限に代わる適切な手段を考案した者はいないようだ。ブルース・ブレアが2016年に米政治専門サイトのポリティコへの寄稿で記したように、存亡をかけた衝突に対する懸念が、米大統領制を「核の君主制に似たもの」にしている。
米大統領の権限は、抑止力の信頼性を高めるだろうか。おそらく状況によってはそうだろう。だが、別の状況によっては──たとえば攻撃側が大統領は分別を失っていて迅速な対応ができないと考えたり、挑発行為の事実がないのに核攻撃に踏み切ると脅したりすれば、核衝突の可能性が高まりかねない。
(forbes.com 原文)