食&酒

2023.09.16 11:30

「ガチ中華」の店が東京・池袋に集中している理由とは?

池袋西口(北)出口からの西池袋の街の眺め。ここは「ガチ中華」のゲートウェイ

メルクマールは「海底撈火鍋」の開店

その「在日中国人向けのビジネスの町」になった池袋で、最後に現れたのが、飲食店だった。
advertisement

象徴的な存在は、1999年12月に西池袋にオープンした中国東北料理店「永利」である。その後、2000年代に入ると、ほかにも中国人経営の料理店が現れ、その頃、女性誌の「Hanako」で池袋の現地風中華料理が特集されたこともある。

当時は中国が「世界の工場」「世界の市場」ともてはやされた時代で、多くの日本企業も続々と中国に進出した。

それでも、いまに比べれば、中国人経営の飲食店はそれほど多いとはいえなかった。在外華人の研究で知られる山下清海筑波大学名誉教授と数人の研究者が制作した「池袋チャイナタウンガイド(池袋华人街指南)」(2007年)という小冊子をみると、当時の西池袋の中国系飲食店の数は35軒だった。
advertisement

ちなみに、2023年8月に東京ディープチャイナ研究会が調べた西池袋の中国系飲食店の数は103軒である。

2011年の東日本大震災後、中国人経営の飲食店の数の増加が一時止まった。中国の人たちの多くが帰国したこともある。ところが、2014年から2015年にかけて再び増え始めた。訪日中国人旅行者が急増し、「爆買い」ブームが世間をにぎわせていた時代である。

その頃から中国人オーナーたちの間で「池袋であれば、中国人の集客が望めるので出店しやすい」という共通認識が生まれた。2014年に西池袋に上海料理店「大沪邨」をオープンさせた沈凱さんも、同じ理由で、以前店を開いていた横浜から移ってきたという。1990年代後半から増え続けた在日中国人数は2005年には50万人を超え、この時期には約70万人になっていた。
中国の火鍋チェーン「海底楼火鍋 池袋店」のフロアは吹き向けの造り

中国の火鍋チェーン「海底楼火鍋 池袋店」のフロアは吹き向けの造り


2010年代後半、池袋はさらに変わり始める。1つのメルクマールは、2015年12月に中国最大の火鍋チェーン「海底撈火鍋」のオープンだった。その頃からいまで言う「ガチ中華」が姿を現し始めたのである。

それでも、今日のような店がひしめく様相に至ったのは、2020年のコロナ禍以降のことだ。

コロナ禍にもかかわらず「ガチ中華」が急増した理由については、すでに本コラムで解説したとおりだ 。

多くの飲食店が営業不振に陥ったことでテナントが空いたため、「ピンチをチャンスと考える」中国人オーナーが、そのメンタリティや時代認識から積極出店したこと。また彼らが中国の経済成長にともなう外食産業の発展から学び、先行事例を容易に日本に持ち込めたことなどの理由があった。

さらに言えば、訪日中国人観光客の増加によって免税品販売や民泊、不動産の斡旋など、新たな同胞向けビジネスも拡大し、それがコロナ禍後の飲食店出店の原資となった面もある。

こうして池袋は「ガチ中華」の街になったのである。
次ページ > フードコート「友誼食府」の誕生秘話

文=中村正人 写真=東京ディープチャイナ研究会

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事