フードコート「友誼食府」の誕生秘話
西池袋の「ガチ中華」が注目される1つのきかっけとなった中華フードコート「友誼食府」。その隣にある食材店「友諠商店」にまつわるエピソードを紹介したい。30年以上の歴史があるこの食材店のかつてのオーナーは北京出身の人だった。その後、都内各地に出店したが、2000年代以降、競合店の増加とともに経営不振に陥ったという。
それを引き継いだのは、横浜関内にある「聖元」という小売会社で、母体は台湾系の中華食材卸売業者だ。同社の鄭尊仁社長は台湾南部の高雄生まれである。彼によると「卸売業者が一般消費者向け直営店を持つことは大きな挑戦だった」という。
それでも、2010年代以降、中国やアジア各国から多くの若い人たちが留学やビジネスで来日するようになったことは追い風になった。当初、鄭社長は、彼らアジア出身の若い人たちに故郷の食材を提供することが自分の使命だと考えていた。
ところが、時代は変わり、日本の人たちも友誼商店に来店するようになった。「そんな時代が来るとは思いもしませんでした」と鄭社長は話す。
いまでは日本人客でにぎわう友誼商店に隣接するフードコート「友誼食府」の誕生秘話も併せて紹介しよう。
現在フードコートがある場所には、以前は中華火鍋屋など飲食店が入っていたが、もうひとつ経営がうまくいかず、撤退することになった。そのとき、友誼商店の店長が「店に買い物に来たお客さんがちょっと休んで飲み物を飲んだりできるスペースにしてはどうか」と提案したそうだ。
こうした着想が実現したのが、いくつかの実在する「ガチ中華」の店が入店するフードコート形態の友誼食府だった。
中国やアジアではこのようなフードコートはどこにでもある。それは彼らにとって親しみのある場所だが、日本の人たちにとってもガチで面白いスポットとして受け入れられたのである。