声もなく大粒の涙を流し続けるアマンダを正面クローズアップで捉えたカメラは、彼女の中でそうした「喪の作業」が行われていることを示している。
泣いているアマンダに驚き「まだ終わりじゃない」と声をかけるデヴィッドは、もちろん彼女の涙が「喪の作業」であることを知らない。ゲームはいつ逆転するかわからない、希望を持てと、彼は幼い姪を励ましているつもりだ。
ダヴィッドの言葉通り、その選手は懸命に追い上げて逆転勝利する。頬に涙の跡を残したまま歓喜に溢れるアマンダの顔から、観る者は彼女の中で母の死が乗り越えられたことを知る。
凡庸な物語なら、親を亡くした子と叔父がぶつかり合いながら困難を共に乗り越え、やがて本当の親子のような絆を結んでいく過程をいかにも感動的に描くだろう。しかしこの映画は、回復していく子どもの主体と父親代わりの青年の主体を安易に交わらせず、最後までズレをズレとして描いている。
未熟な二人は、それぞれ自分の中で喪失を乗り越え、少しだけ大人になり、ズレを内包しつつも共に生きていこうとしているのだ。
連載:シネマの男〜父なき時代のファーザーシップ
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