映画

2023.08.19 18:00

パリ無差別殺傷事件、青年と少女の乗り越え方│「アマンダと僕」

ある日、サンドリーヌと待ち合わせたダヴィッドは、仕事先で電車の遅延に遭い、自転車を飛ばしながらスマホで姉に少し遅れる旨を伝える。

約束の公園に到着し、あたりを見回すダヴィッド。いつものように人々がいる。

しかし彼らはくつろいで横たわっているのではなかった。惨劇が起きたとわかった瞬間、支えていた自転車がダヴィッドの手から離れて倒れる。平凡で見慣れたはずの日常風景が、異様な光景として立ち現れる瞬間の描写が秀逸だ。

これ以降、それまでの陽光溢れる場面は影を潜め、さまざまな面で重要な支柱だったサンドリーヌを失った若い叔父ダヴィッドと、姪アマンダの関係性に焦点が当てられていく。

アマンダの「重い」存在感

特筆すべきは、監督に見出され本作でスクリーンデビューしたイゾール・ミュルトリエの演じる、アマンダの存在感だ。あどけなさとやや大人びたところが混じる表情、日に焼けてはちきれそうに健康そのものの体躯。

ハリウッド映画なら人形みたいに可愛く華奢な子役を持ってきそうなところだが、ベタついた愛らしさが希薄なアマンダには、ごく普通の小学生のリアリティが漂っている。主な登場人物はダヴィッドを始めとして痩せ型のひょろひょろした大人が多い中、アマンダは小さいながらもどっしりとした存在感を放つ。

事件以降、決定的な「重さ」としてダヴィッドの心と生活にのしかかってくるアマンダの主体の強さを際立たせるためにも、生命力溢れる体型の少女が選ばれたのではないだろうか。

左からアマンダ役を演じたイゾール・ミュルトリエと、ダヴィッド役を演じたヴァンサン・ラコスト(2018)Getty Imgages

左からアマンダ役を演じたイゾール・ミュルトリエと、ダヴィッド役を演じたヴァンサン・ラコスト(2018)Getty Imgages


24歳は、父親になるには少し早い年齢である。まして、独身で自由気ままに生きてきた青年にとって、親しい姪とは言え、突然降りかかってきた7歳の少女との生活に途方に暮れるのは当然だ。

だから中盤、ダヴィッドは4回も泣いている。1回目は姉の死を病院で確認した翌朝、サンドリーヌのアパートで。隣の部屋に眠っているアマンダを気遣ってか声は出さない。

次に、アマンダを起こして公園のベンチに連れて行き、いよいよ彼女に母の死を告げる瞬間。辛さの余り嗚咽が漏れてしまう。

3回目は、事件で負傷した友人アクセルに内心を打ち明ける時だ。「この先どうすればいいのか」と思わず顔を覆って泣き出す姿に、母を失った少女の父親役という重大な役目を引き受けるはめになった青年の、とてつもない不安が滲んでいる。

ダヴィッドにとっては更に不幸なことに、ピアノ教師のレナも同事件で片腕を負傷した。ピアニストの夢を絶たれた彼女は、意気消沈して故郷に帰ってしまう。この乾いた雰囲気の唐突な別れの後、仕事で駅に人を迎えに行ったダヴィッドが、ついに耐えきれなくなり体を折って呻くような泣き声を漏らす場面がある。

声を上げて思う存分大泣きできない。そんな暇などなく、せねばならないことが押し寄せてくる中、ふとした拍子に噴き出してくる押し込めていた感情。それらは決して大袈裟に描かれない分、同じような体験をした者にとっては強いリアリティをもって受け止められるだろう。
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文=大野左紀子

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