映画

2023.08.19 18:00

パリ無差別殺傷事件、青年と少女の乗り越え方│「アマンダと僕」

微妙にズレる二人の関係性

アマンダの態度と、それに対応しようとするダヴィッドが、最後まで少しずつズレている点が興味深い。ダヴィッドから母の死を告げられた当初のアマンダは、ショックが大きすぎて事実を受け止められない状態だ。

無言でひたすらパリの街を歩き回る叔父の後について歩き、やがて混乱と疲れで泣き出すアマンダ。どうしていいかわからないまま、幼い姪より先に先にと歩いていたことに、そこで初めて気づくダヴィッド。二人のリズムはまだ全然合っていない。

夜中にうなされて泣くアマンダの手を握り、「僕がついてる」と懸命に声をかけるダヴィッドだが、サンドリーヌの歯ブラシをゴミ箱に捨てたことでアマンダの逆鱗に触れる。母を亡くした少女のデリケートな心を、24歳の青年がリアルに想像するのは難しいのだ。

そんな中、仕事を終えてから離れたところに住む叔母・モードの家に預けたアマンダを迎えに行くという、慌ただしい生活が始まる。

居場所が頻繁に変わることに腹を立て反抗的だったアマンダが、叔母宅に泊まることになっていたある日、「今日はおじさんの家がいい」と顔をしかめてベソをかく。ダヴィッドはその日久々に夜の息抜きを入れていたのだが、この時の彼女の泣き方がダヴィッドへの自然な甘えの混じった駄々で、なんとも胸を掴まれる。

クラスメートとドッジボールをしているところに迎えにきたデヴィッドに向ける安心した笑顔、公園でゲームをしながら見せる無邪気な笑顔には、二人の関係性がかなり安定してきたことが窺える。

やがてデヴィッドの中にもようやく、「父」の自覚が芽生える。と同時に、関係の切れていたレナや母アリソンに再会しようという意志が生まれてくる。

母の死を「終わり」と受け止めた瞬間

こうした後半の流れで、デヴィッドとの生活の中でアマンダが母の死からすっかり立ち直ったかに見えるのだが、二人で行ったウィンブルドンの試合観戦の場面でその安易な予想は覆される。

応援している選手が相手にリードされ続け、次第に曇っていくアマンダの顔。やがて彼女は「エルヴィスは建物を出た」と呟いて、ポロポロと涙をこぼし始める。

この謎めいた文言の意味を、ドラマ冒頭近くで彼女はサンドリーヌから聞かされている。エルヴィス・プレスリーの人気が最高潮だった時代、コンサートが終わりエルヴィスの再登場を待って帰らないファンに対し、「エルヴィスはもう建物を出ました」という場内アナウンスがなされたことから、その言葉が「もう終わり」「希望はない」という意味で使われるようになったというエピソードだ。
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文=大野左紀子

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