2回目は医学部6年生に上がる前の2カ月の休みのとき。自治医科大学は卒業後に僻地医療に携わることが義務なので、将来に役立てようと思って、アメリカの田舎を1週間ずつホームステイして過ごしました。この時も、日本に先んじた医療体制などを見聞きし、驚きの連続でした。1990年当時、ドクターヘリの体制が整備されていました。
そして、2001年3月にようやくアメリカに戻ってくることになります。知り合いの日本の医師から、スタンフォード大学のバイオデザインの創設者でもあるポール・ヨック教授を紹介してもらったのです。ヨック教授が、現地ではあまりにも有名なので、ラボ採用の経緯をよく聞かれますが、ちょうど私の前任者にあたる方が帰国するタイミングで後任を探していました。「たまたまご縁があった」といったということです。
日本人の傾向として、失敗しないように周到に準備してからでないと挑戦しないというものがあります。アメリカは正反対の文化です。そのことは、この地域に来てみないとわからないし、「もうとにかく突入しなきゃ始まらない」と思います。
──日本の医療機器エコシステムの今後の展望は
日本の医療機器の国内市場は約3兆円で、貿易収支は約1兆円弱の赤字です。これは、欧米スタートアップが開発した革新的な医療機器が増えたことによるものです。多くの起業家が革新的な医療機器を世に出そうと努力し、VCがリスクマネーを投下し、過酷な競争が行われています。その中で勝ち残ったスタートアップが、最終的に大手企業に買収されて、世界展開される医療機器となって海外にも輸出され、人々を救う一助となっています。
一方で日本では、文化的な背景もあり、企業が開発する医療機器は、リスクが低くスケールしにくい製品が多いのが現状です。日本でも、こうしたエコシステムを形成すべく、先ほど述べた人財教育も含め、私のできることから進めています。