経営理念に似つかわしくない言葉に引っかかって、一読では理解できないものもある。どうして、もっと消化しやすいものにしなかったのか。
成長とリンクした『源流』
それを探るために、まずはPPIHグループの歴史からおさらいしたい。安田がディスカウント業態のドン・キホーテ1号店を府中にオープンさせたのは1989年だった。当時すでに日本ではダイエーやイトーヨーカドーといった大手チェーンストアが幅を利かせていた。「同じ競技種目で戦うかぎり勝てない」と考えて打ち出したのが権限委譲である。安田は狙いを次のように明かす。「チェーンストアは、マニュアルによってどこの店でも金太郎あめです。だからこそ同じものを安く大量に供給できるのですが、目隠しして連れてこられたらどこの会社の店かわからないくらいにみんな同じで個性がない。ならば真逆をやろうと、現場に徹底的に権限を委譲して任せることにしました。おかげでドンキの場合はすぐドンキだとわかる」
権限委譲された現場は、何を仕入れていくらで売るかといったことまで自分で決めることができる。一人ひとりが一国一城の主。仕事に対するモチベーションが上がり、それがドン・キホーテの成長につながった。
ただ、店づくりは個々に任せるとしても、背骨になる共通のコンセプトがないと、顧客は「ここがドン・キホーテ」とわからない。安田は積極的に店舗を回って、自分が大切にしている価値観や商売の考え方を伝えていた。店舗数が少ないうちはそれで十分に間に合ったので、経営理念というかたちにして示すことにはこだわらなかった。しかし100店舗に達した2005年ごろに限界を迎える。「店舗が増えるとぜんぶ回るのは物理的に無理で、まったく接点のない人も出てくる。会えなくてもみんなで同じ価値観をもって社業に邁進してもらうには、経営理念の共有が必要でした」(安田)
当初つくったのは、世間でよく見かけるタイプの経営理念だった。ところが期待していたようには現場に浸透しなかった。
そうするうちに店舗はますます増えていき、2011年には約200店舗超に。このまま同じやり方を続けるだけでは組織がばらばらになってしまう。そこでこれまでと違う方針でつくったのが「源流」だった。「空理空疎な字面だけのものはもうやめようと思いました。理路整然と一刀両断に書いたものは、書いた瞬間すっきりするし、読む側も理解しやすい。しかし、現実の人間は矛盾に満ちた存在です。正解をもっているわけではなく、つねに相反する二択や三択で迷っていたり、あるいは選択肢すらなくて立ち止まっていたりする。そうした人間の心のひだを受け止めたうえで、我々はこう在りたいという思いを込めました」(安田)