「私たちは何者でありたいか?」
柳澤:日本では血縁関係が未だに非常に強い社会的アイデンティティを形成しているのですが、「親族集団」についてはどのようにお考えでしょうか? 血縁集団ベースの社会が解体されて、個人主義が成立していくという歴史観もあるように、人類の歴史を振り返れば、国家だけでなく、血縁関係で結ばれている集団が強い社会的アイデンティティをもつケースも少なくありません。とりわけ日本を含めた東アジア諸国では、親族集団が強固だといわれています。ヴァン・バヴェル:よい指摘ですね。親族集団は本当に強力で、人間の本質と社会性の基盤となる重要な存在だと思います。
しかし、私は「アイデンティティは複数もつことができる」という点を強調したいですね。私は親族や家族の一員ですが、同時に大学の教授であり、本の著者でもありますし、休日は自分の好きなチームを応援するスポーツファンになります。補完しあう複数のアイデンティティを使い分けることで、豊かで満たされた人生を送ることができると思うんです。
そしてどの集団においても最も大切なのは、「私たちは何者でありたいか?」を考え、メンバー同士で会話することです。いかなる価値観をもって地域社会や世界に対して関わり、どのように貢献したいのか。誰もが納得して共有できる規範を、社会的アイデンティティとして構築することが大事です。そのような会話をする際には、哲学者を同席させるとよいかもしれませんね(笑)。
柳澤:各集団が健全な社会的アイデンティティをもてるように努力するならば、集団としての生産性も上がるでしょうし、構成員である個々人も自分が属する様々な集団のなかで協力しあって力を発揮し、喜びを感じることで、豊かな人生を送ることできそうです。
ヴァン・バヴェル:その通りです。社会的アイデンティティは人間の本質の一部であり、その機能を理解し活用する組織は、そうでない組織よりも高い競争力をもち、よいパフォーマンスを発揮するでしょう。そのために集団を健全なアイデンティティに導くリーダーシップや構成員の会話が本当に大事なのです。
誰かが「健全な」文化や価値観、規範をつくらなければ、他の人がそれを悪用し、あなたを危険な状況に陥れる可能性すらある。ほとんどの人はこのことを知りません。だから私は、世界中の誰もに役立つ本を、研究者の立場から執筆しました。みなさんが「社会的アイデンティティ」の原理原則を理解して、もっと豊かに暮らせる世界が訪れれば、このうえなくうれしいですね。
ジェイ・ヴァン・バヴェル◎ニューヨーク大学心理学・神経科学准教授。ニューロンから社会的ネットワークにおよぶ、潜在的なバイアス、集団のアイデンティティ、チームパフォーマンス、意思決定、公衆衛生における心理学・神経科学を研究している。
柳澤 田実◎関西学院大学神学部准教授。専門は哲学・キリスト教思想。東京大学21世紀COE研究員、南山大学人文学部准教授を経て、現職。編著書に『ディスポジションーー哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に向けて』。