「悪い」集団主義に陥らないために
柳澤:一方で、社会的アイデンティティは「同調圧力」にもつながりうるとヴァン・バヴェルさんは本で指摘しています。強い社会的アイデンティティをもつと、その集団の価値観に染まってしまい、大勢と異なる意見を表明しづらくなるということですよね。ヴァン・バヴェル:もちろん、社会的アイデンティティには、そうした負の側面もあります。とあるアンケート調査によれば、人間が最も恐れるのは「人前で話すこと」でした。もしばかなことを言って恥をかいたら、「もう誰も自分と関わりたくなくなるのではないか」と心配になるからだそうです。
こうした恐れはストレスになり、人間のパフォーマンスを著しく下げます。別の研究調査では、もしあるグループが「一緒に仕事をしたくない」とメンバーを追い出したら、追い出された人のIQは約15ポイントも下がることもわかっています。
そもそも人間は有史以前から、集団から追い出されることを恐れていたのではないでしょうか。自己中心的に振る舞う人が、アフリカのサバンナのような場所で集団から追い出されたら、おそらく餓え死にするでしょう。集団から追い出されることが死に直結していた名残が、「グループから追い出されたくない」という人間の本能に繋がっているのかもしれません。
柳澤:特に同調圧力が強いといわれる日本の組織では、他人の気分を害したくないという意識が強く働き、「問題があることがわかっていても声を上げて反対しづらい」という話をよく聞きます。かつて山本七平は著書『「空気」の研究』で、日本人は他人の気分を神聖視しているとも言いました。
私は何かを神聖視する心理について研究をしていますが、「聖なる価値」理論では、集団を神聖視することで自己と集団を融合させてしまう「アイデンティティ・フュージョン」の状態があるともいわれ、テロリストなどにこういう傾向が見られるとされています。社会的アイデンティティには、こうした抑圧的な集団主義を生みだすリスクが伴うのでしょうか。
ヴァン・バヴェル:一概にそうとは言えません。反対意見の表明もまた、強いアイデンティティに起因することが多いからです。集団のことをよくしようと思っている人のほうが、進んで異論を唱える傾向があります。チームや物事がうまくいかない状態を見て、声をあげるということは、難しくてストレスフルな行為です。だから本当にそのグループのことを思っている人しか、反対の声をあげないのです。
柳澤:反対意見もまた集団のためのある種の自己犠牲だということですよね。では、一体どうすれば、「悪い」集団主義を避けることができるのでしょうか?
ヴァン・バヴェル:最も大切なのは、何でも言い合える「健全な」文化や規範をもつことです。反対意見があがらない集団や、反対意見があっても受け入れられない集団には、誤った情報や行動がまん延します。「カルト化」と呼んでもいいかもしれません。もしも同僚が誤った発言や行動をしたら、それを指摘し合うことが「当たり前」だと感じる集団をつくることが大事なんです。これは「心理的安全性」といわれていることでもあり、最近はこの考え方を積極的に取り入れる企業が増えています。