愛やロマンスに侵入する「コスパ」思考
イルーズ:そして感情資本主義の第二の側面として、愛やロマンス、他者との親密な関係性が、正義・公正・公平という政治的言語や功利主義的な言語で染められていること──すなわち「感情生活の合理化」が挙げられます。20世紀になると、フェミニズムや「心の科学」の影響もあり、人間関係に一種の交換モデルがもち込まれるようになります。特に20世紀後半の社会では、男女の性別役割分業にもとづいて、男性らしく外で稼いでくること/女性らしく家事育児をきちんとすることによって愛情を表現するような関係性ではなく、コミュニケーションを十分に取り、お互いのパーソナリティに深くコミットしてお互いに理解し合うことが重要視されるようになりました。ただ、ここには落とし穴があります。自分たちの関係性を常に反省的に振り返り、点検して綻びをただすためにさらにコミュニケーションを重ねる。それはとても民主的な関係である一方で、「私が愛するのと同じぐらい、相手は私を愛しているのだろうか」と相手の愛情と自分の愛情の比較をしはじめてしまう。関係を対等で平等に保つためには、自分が何を与え、何を得ているのかを絶えず自問自答する必要があるためです。
山田:社会的地位や金銭、ジェンダーにとらわれず、純粋に相手に向き合おうとするがゆえに、ふたりの気持ちを査定し、評価し、ときには損得勘定にまで及んでしまうという逆説ですね。
イルーズ:はい。そして、感情資本主義の第三の側面は、「エモディティ」(感情商品)です。ダイヤモンドや洋服といった有形の商品ではなく、旅行や怒りのコントロール法を習得するためのワークショップのように、無形で、リラクゼーションや家族との楽しい時間、コミュニケーションスキルといった自己変容や感情の変容がもたらされる一連プロセスが商品となっています。
山田:映画や音楽、プレゼントやカウンセリングサービスのように、消費が遂行される過程で生じる消費者自身の感情変容・自己変容とともに完成する商品、それが「エモディティ」ですね。経済的行為のエモーショナリゼーションと、感情生活の合理化、そしてエモディティ。資本主義は否応なく人々の感情を巻き込み、「心の科学」やフェミニズムに由来する言葉とマーケットに由来する言葉が結びつき、文化的にも政治的にも強力になるなかで感情資本主義が発展してきたという指摘は、現代社会を考えるうえで大変重要であるとあらためて思います。