アート

2023.07.03 17:00

「自分は不良品だ」 画家・井田幸昌がやっと見つけた居場所

2017年に「IDA Studio」を立ち上げた井田幸昌


帰国後、2017年中に株式会社IDA Studioを立ち上げ、ギャラリーに属さない作家としての活動をスタートさせた。海外で、より良い条件で仕事をするために自ら環境を整えているアーティストたちを見て、自分も制作環境を少しでも健全なものにしたいという思いからだった。

飛躍の年となった2017年

2017年7月には、最年少の27歳で「レオナルド・ディカプリオファンデーションオークション」に参加し、10月にはロンドンで初の個展「Bespoke」を開催。プライベートでは、学生のうちに結婚していた妻との間に子どもが生まれ、守るべき新たな命を迎えた。
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この年は、井田にとって大きな飛躍の一年となった。

「ロバートの絵を描き切ったことをきっかけに、自分の中で色々と変わっていきました。それは彼が与えてくれた愛に支えられた面もあると思っていて。決して僕一人でどうにかしたわけではないです。描いたのは僕だけど、出会いがなければ生まれなかった作品たち。いろんなことが一期一会でつながっていて、気づいたら今があります」

 自身のアトリエにて
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画家としての自覚と歩調を合わせるように、世間の評価も高まった。自身の活動が対外的に評価されたことは、素直に喜んでいた。

「今でもそうですけど、僕は自分を人として“不良品”だと思っています。不良品だから居場所がない。でも、そんなどうしていいかわからなかった自分を認めてくれる人がいるということがわかったとき、僕はここで絵を描いていていいんだという安心感をもらった気がしました。それがなければ画家を続けられないと思います。だからこれまでに出会ったすべての人に感謝しています」

それまで、両親やロバート、石工の親方など、自分を支えてくれた身近な人々のために作品をつくってきた井田だったが、多くの人から評価を受けることで、より広い世界に届けたいという思いが生まれた。さらに、起業し、家族もできたことで、視野も広がった。こうした変化は、コンセプトである「一期一会」をさらに深く考えるきっかけにもなった。

「“一期一会”と言うのは簡単だけど、それって何なのだろうと。解釈を広げ、深堀りするようになりました。支えられて生きているのは変わらないけれど、僕が支える側に回る場面も生まれてきて。自分の世界が拡張しているような感じです」
 
画家として、自らの居場所を見つけた井田。その後もパリ、北京、ロンドン、シカゴなど、世界各地で個展・展覧会を開催した。企業とのコラボレーションなど活動の幅を広げるなか、今年ついに出身地の鳥取県米子市に凱旋する。

>>第5回 井田幸昌が鳥取に凱旋。「変わり続けるもの」と「変わらないもの」とは

◤30U30 AIUMNI INTERVIEW◢
「画家・井田幸昌」
#1 井田幸昌は、なぜ画家になったのか。ひたすら「手」を描いた中学時代
#2 「遺骨」を洗う仕事で気付いた、画家・井田幸昌が生きる意味
#3 画家・井田幸昌が、生涯のテーマ「一期一会」を決めた瞬間
#4 「自分は不良品だ」 画家・井田幸昌がやっと見つけた居場所
#5 井田幸昌が鳥取に凱旋。「変わり続けるもの」と「変わらないもの」とは

文=尾田健太郎 取材・編集=田中友梨 撮影=山田大輔

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