アート

2023.07.01 11:30

「遺骨」を洗う仕事で気付いた、画家・井田幸昌が生きる意味 

自身のアトリエに座る、画家・井田幸昌。

自身のアトリエに座る、画家・井田幸昌。

高校時代に見たモーリス・ド・ヴラマンクの「丘の上の家の風景」に感化され、画家への道を歩みだした井田幸昌。進路を東京藝術大学に定めると、努力の日々が始まった。

しかし現役、浪人と続けて受験に失敗。浪人生活は2年目に突入した。

「父親からは一浪しか認めないと言われていたのですが、なんとかもう一度チャンスをもらって、美術予備校も変えました」

前回>>井田幸昌は、なぜ画家になったのか。ひたすら「手」を描いた中学時代

美術予備校は美術大学を目指す学生専用の予備校だ。始めに通った予備校では、その特殊な環境がゆえ、うまく馴染めなかった。その反省を生かして次の美術予備校では講師に「放任」を求め、講師側もそれを受け入れてくれた。

自らのペースで受験の準備を進めることができ、手応えを感じての再受験。しかしこの年も失敗に終わる。2011年、21歳のときだった。

「その後、半月くらいは廃人のような生活をしていましたが、何にもしないわけにもいかなくて、石工に弟子入りすることにしました」

弟子入りに際し、画家への道をあきらめようと、それまでに描いた絵も、画材も全て燃やした。それは苦しく、厳しい決断ではあったが、井田なりの区切りだった。
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文=尾田健太郎 取材・編集=田中友梨 撮影=山田大輔

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