現実に起きていた出来事は?
前半、アンが新しくやってきたヘルパー、ローラ(イモージェン・プーツ)をアンソニーに紹介する場面がある。若くして亡くなったアンの妹ルーシーにそっくりのローラを見て、アンソニーは機嫌が良くなる。画家だったルーシーはアンソニーのお気に入りで、部屋には彼女の描いた絵が何枚も飾ってある。彼女は若い頃に不慮の事故で亡くなり、それはアンソニーの心に重大なトラウマを残したであろうことが、後の場面から推測できる。ローラ相手にやたらとはしゃぐ父をハラハラしながら見守るアンを横目に、アンソニーは自分のフラットの自慢を始め、やがてアンに悪態をつき始める。
認知症によって自意識のタガが外れ、長女のアンより次女のルーシーの方が可愛いという本心が垂れ流されている。それに涙目で堪えるアンと、内情を察しつつ受け止めるローラ。夜、キッチンで一人泣くアンは、父の寝室に赴き、思わず両手をアンソニーの首にかける....。
アン役を演じたオリヴィア・コールマン(2023)/ Getty Images
この一連のシークエンスは、現実に起こった出来事をそのまま描いていると思われる。ドラマ中、客観的視点で事実が描かれているらしき場面は何箇所かあるが、それらはアンソニー視点の描写の中に埋め込まれていて、後から推測させるような仕組みになっている。
では現実に起きていた出来事は、どのようなものだったのか。描かれているシーン同士の整合性を図り、描かれていない部分を推測したとしても、捉え方は人によって異なってくるだろう。
さまざまな解釈が出ているが、ここで私の読みを書くことは控えたい。見た人が自らパズルのピースを埋める作業をしてもいいし、曖昧のままにしておいても良いと思う。
認知症の不条理な世界を追体験することがこの作品の主眼であるならば、無理やり辻褄合わせをする必要はないかもしれない。元は非常に知的でプライドも高く、同時にユーモアとウィットに富んだ人物だったであろうアンソニー。その片鱗は各所に見られるものの、認知症によって歪んだ態度となって現れるさまが実に残酷だ。
病状の進行を表す3つの小道具
アンソニーの病状の進行は、彼のこだわる三つのものに象徴的に描かれる。一つ目は愛用の腕時計。バスルームに置いてあるのをいつも忘れて盗まれたと思い込み、それが原因で何度もヘルパーが替わっている。時刻を刻む時計は、現在を確かめる重要なアイテムだ。それを度々”盗まれる”ということは、彼の中で時間の感覚が失われていることを意味する。夜8時なのに窓の外が昼間である、という描写もこれと関係している。
二つ目は、冒頭から何度か流れるビゼーのオペラ『真珠採り』のアリア「耳に残るは君の歌声」。アンソニーのお気に入りの曲であろうそれをCDで聴いている最中に、音が途切れてループするトラブルが起こる。時間の流れが寸断されていく彼の状況と対応していると言える。
三つ目は、フラットの室内の色彩だ。茶やベージュを基調とした落ち着いたインテリアの中に、クッション、椅子、マントルピースの上の置物、キッチンのモザイクタイル、鍋、スーパーの袋などが鮮やかな青で印象に残る。アンの最初の服も青。そして壁にはルーシーの絵が何枚かかっている。だがそれらの絵は途中で消え、最後の方の追憶の中の室内は、全体がぼんやりとした水色の中に沈んでいる。記憶から多くのものが失われていったのである。
仕事をし、家庭をもって父としてファーザーシップを発揮し、居心地の良い自慢の住処を所有し、絵や音楽など芸術を愛する人生を送ってきた人が、老いて認知症を患い、娘や自分の名さえも忘れ去る。それは、娘にとって彼が「父親」という名の空虚な入れ物になってしまうことに近い。
劇中、施設から去っていく車の中のアンの表情に、あなたは何を読み取るだろうか。
連載:シネマの男〜父なき時代のファーザーシップ
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