1970年代に日本でファストフード店や自動販売機などが普及したことをきっかけに、日本人の食生活は多様化していきました。その一方で、急須でいれる手間のかかる緑茶の市場は縮小していきます。そんな中、1980年に伊藤園が「缶入り烏龍茶」を発売し、ブームになりました。
そして1985年に「缶入り煎茶」が発売されると、無糖茶の飲料化が当たり前になっていきます。現在でも、甘くない飲料がどこの自動販売機でも売られている国は日本しかありませんから、ある意味イノベーションが起きたと言えるでしょう。その後、1990年ごろからはペットボトル入り飲料が主流となりました。
こうした食生活の変化によって急須でいれるお茶の需要は減少していきました。そのイノベーション裏で、お茶のつくり手がお客さまの新たなニーズを引き出す努力を怠ってきたことも原因だと思います。まさに工芸と同じで「経営してこなかった」ということでしょう。
岩本涼
ただ、最近は好転の兆しもあります。ひとつは、海外向けの良質なお茶の需要が増加して、価格が上昇傾向にあること。もう1つは大手清涼飲料メーカーが、今年から茶葉生産拠点を新設してお茶の生産に参入する動きがあることです。
我々は畑を持ってお茶の栽培から手掛けている企業として、「ものづくりの視点」と「市場でお茶を販売する視点」の両方を使って、業界全体の改善に力を尽くしたいと考えています。
自分たちの手でモノをつくる
——両社とも、その2つの視点を持っている企業です。「ものづくりの視点」は現状を打破するための鍵になるでしょうか。中川:自分たちの手でモノをつくることはとても重要です。先ほどメーカーが“工場を新設する”というお話がありましたが、衰退している産業ほど、まさにバリューチェーンの上流から下流まで、垂直統合してやり切るしかないのです。
だから僕は、岩本さんが「世界にお茶を持っていこう」と考えてスタートアップを立ち上げた時に、畑でお茶をつくるところから始めるというビジネスモデルを採用したのには、とても共感できます。この点は、私が岩本さんに社外取締役をお願いした理由のひとつでもあります。
岩本:お茶の価格を底値から上げていくにはすごく労力がかかります。ですので、自分たちも垂直統合をコアモデルとして選びました。
中川:生産に関わっていない人や企業には、いくら口で説明したとしても“軽さ”みたいなものが見え隠れすることがあるんです。つくることの重要性を理解しているから信頼できます。