2023.06.11 17:00

バリを愛した故・鹿島社長が夢見たリゾート、ラッフルズ・バリ

鈴木 奈央

ラッフルズ・バリにあるメインダイニング「ルマリ」

バリ島の空を真っ赤に染める夕焼けを見渡すダイニングルームに、シャンパーニュのグラスが運ばれてくる。冷えたグラスをテーブルに置いたスタッフが、「ドクターKAJIMAも、きっとこの夕陽を見ていらっしゃいますね」と微笑んだ。

バリ島・デンパサール空港から車で15分のジンバラン地区、白い砂浜が見事なビーチリゾート、ラッフルズ・バリ。筆者がここを訪問したのは、メインダイニング「ルマリ」で、このリゾート全体の食を統括するガエタン・ビスーズ氏の手によるモダンインドネシア料理をいただくのが目的だった。

“ドクターKAJIMA”とは、このリゾートの誕生に深く関わった、鹿島建設の元社長、故・鹿島昭一氏のことだ。

東京大学を卒業後、ハーバード大学の大学院で建築を学び、若い頃から建築家として世界のリゾートを見てきた鹿島氏は、同じくバリ島南部のサヌールに個人の別荘を持っており、近所に住んでいたアマンリゾーツの創始者、エイドリアン・ゼッカ氏とも親交が深かった。

世界のラグジュアリーリゾートの潮流をいち早く感じた鹿島氏は、1990年代にはハワイで、既存のスタイルの大型ホテルではなく、「その土地らしさ」を表現する、現代のデスティネーション・リゾートの先駆けとなるヴィラスタイルのリゾート(現フアラライ・リゾート)をいち早く手がけるなどしてきた。

また、バリ島をこよなく愛し、いつかはこの地に自社のリゾートをと、将来を見越して、1980年代にこの土地に目をつけた。アジアの経済成長に勢いがついた2010年代に、プロジェクトがスタート。社長時代も、常に建築家としての視点を保ち続けた鹿島氏。当時すでに80代に入り最高相談役としての立場であったが、自らの総仕上げのプロジェクトとして、手ずからトポグラフィー(地形図)をひき、設計にも深く関わった。

2010年から8年間にわたり、現地でこのプロジェクトに関わってきた土山洋一氏(現在は鹿島海外事業本部本部長室長)は、当時を振り返り、次のように語る。

「バリ島では珍しい、白い砂浜、それを見渡す傾斜地なので、全室から海が見渡せるロケーション。湾状のビーチの両端は原生林で遮られているので、プライベートビーチになる。ビーチに近いヴィラが山側のヴィラの視界を遮らないように配慮し、この地形を活かす設計を考えていらした」

土山氏によると、元々この場所は鬱蒼とした原生林で、木々を整理しつつ、ヴィラの塀を最小限に、植栽でプライバシーに配慮するように工夫したという。
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文=仲山 今日子

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