そのような私の課題意識にダイレクトに語りかけるアーティストが日本に来日しており、話を聞くことができた。
彼の名はケヴィン・アボッシュ。2011年からブロックチェーンを扱う作品を作り、現在AIをテーマにした映画を制作、先端テクノロジーを活用したアート作品は人々にテクノロジーとの向き方を考えさせる。自分の血判で作ったスマートコントラクト『I AM A COIN』は衝撃的であった。彼は、私達にテクノロジーやアートの価値について議論する視点をシャープに与えてくれる。アートとテクノロジーの錬金術師であるケヴィンの生い立ちからテクノロジーに対しての姿勢、アートが生み出す価値を聞いていった。
まずケヴィンに聞いたのは「アートとテクノロジーの比重をどのようにおいているのか」である。
アートとテクノロジーのバランス
(以下、ケヴィン):アートとテクノロジー、どちらも同じぐらい私の脳には必要な要素です。テクノロジーに重点を置きすぎると何か足りない感じがします。アートに深く入りすぎると、テクノロジー不足にバランスが悪く感じます。でも、アートとの接点から話をはじめましょう。幼いころからアートに触れ、早くからアートの批判的分析と評価に触れていました。アート好きの両親の友人であるロサンゼルスのアートコレクターや、美術史の教授やギャラリストに囲まれていたことにより、アートのもつ意味を小さい頃から考えることができました。
子供の頃は、アート作品を観て簡単に「これ、好きじゃない」と言うものですが、私の周りのアート関連の大人たちはそれだけでは許してくれません。「ちょっと待って。なぜそれが好きではないの?」と尋ねてくるのです。子供の無邪気な「ただ、好きではない」という答えを彼らは許してくれませんでした。
例えば、ジャクソン・ポロックの絵を見て、「誰でもできる」と簡単に片付ける人もいます。ただ、問うべきことは「誰にでもできる、でも、あなたはそれをやらなかった。」ということです。
私にとって重要なのは、方法(HOW)ではなく、理由(WHY)なのです。私にとって、アーティストとは常に錬金術師のような存在です。無から有を生み出す。その価値とは、文化的な価値、社会的な価値、議論の結果としての価値、感情的な価値です。そして、もちろん金銭的価値もあります。