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2023.05.19 18:00

森鷗外は最期に「馬鹿らしい」と叫んだ。精神科医が寄せる追慕記

近代化と武士道の狭間で

浜崎洋介氏の著書『ぼんやりとした不安の近代日本―大東亜戦争の本当の理由―』(ビジネス社)に、鷗外と乃木殉死に言及した個所を見つけた。

「明治末期の出来事において最も注目すべきなのは、近代日本の枠組みが整う明治二十年前後に生を享けた啄木世代(藤村操、岩波茂雄、石川啄木)が、〈既成=近代国家〉の外で煩悶し、あるいは社会主義というもう一つの「制度」を出そうとしていた丁度そのとき、幕末に生を享けた古い武士階級の生き残りの世代が、(中略)同じく〈既成=近代国家〉の外への意志を示していたという事実」。その最たる例が乃木殉死と鷗外の「文学的転回」(=歴史小説)だと。

乃木将軍の殉死の肯定は、「四民平等」と「廃刀令」によって明治国家が否定した価値観、つまり武士道の肯定に繋がると浜崎氏はいう。そして、その思想は「いかなる官憲威力」も抗することのできない死を森林太郎個人として欲すると遺書に書いた鷗外の思想に通じると見立てる。
鷗外と乃木希典殉死は明治精神の終わりの象徴と説く『ぼんやりとした不安の近代日本 浜崎洋介 ビジネス社』

鷗外と乃木希典殉死は明治精神の終わりの象徴と説く『ぼんやりとした不安の近代日本 浜崎洋介 ビジネス社』


まとめれば、西洋を手本に近代化を進める日本という国へのアンチテーゼとしての「古き良きもの」の提出。しかもそれは、矛盾をはらんでいるといえようか。

そこには、家庭においては武士道の具現化ともいえる母・峰子と、近代的でアナーキーな面さえ持つ妻・志げとの仲を取り持つ鷗外がおり、外においては近代国家の中枢を担うべき陸軍官僚としての立場と、思うまま書こうとする文学者としての立場との葛藤に悩む鷗外がいる。

これを文体という別の角度から眺めたのが、松岡正剛氏『千夜千冊エディション 源氏と漱石』(角川ソフィア文庫)「第三章 近代との遭遇」収載の「森鷗外『阿部一族』」。

松岡氏は、鷗外作品の圧巻は晩年にあると言う。その本体は簡潔明瞭な「簡浄の文」であり、淡々と書くことで「過去の鷗外を切腹させた」とまで表現する。そこには「精緻な観察力と分析力」という“医事の眼”を持つ鷗外がいると見立てる。

だが、自分の性欲さえも冷徹にさらけ出す(小説『ヰタ・セクスアリス』)鷗外でさえ、乃木殉死という「寡黙な一撃」の前ではすべてが色あせたと捉える。

『興津弥五右衛門の遺書』は『阿部一族』などとともに、作品集にまとめられた。その題が『意地』。

阿部一族は家制度全盛の江戸時代においても謎の多い殉死の話だが、鷗外も「鷗外最後の謎」を作って死んだと松岡氏は書く。なぜ、鷗外はああいう遺書を書いたのか。それはいつ決めたのか。

余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス」と決意したのは、明治が瓦解した時期、つまり『意地』の作品を書いているころだったと推測している。私もその考えに一票を投じたい。

「馬鹿らしい!」最期の言葉

人は死ぬとき、遺書や遺言を書くとは限らないが、最期の言葉は必ず発する。

鷗外は1922(大正11)年7月9日午前7時に息を引き取った。60歳4カ月余。死因は萎縮腎と発表されたが、実際は肺結核も患っていた。最期の言葉を発したのは、看護にあたった伊藤久子看護師によると、7月6日に遺言を口述した後だという。(山崎一頴『森鷗外 国家と作家の狭間で』新日本出版社)

意識不明になり、危篤寸前の夜だった。枕もとの看護師が突然の大きな声に驚いた。

「馬鹿らしい!馬鹿らしい!」

力のこもった、明晰な、はっきりした声だった。「どうかなさいましたか」と問いかけても返事はなかった。

やはり、医師の眼で見ると、最期に大声を出すとは考えづらい。だが、森鷗外ならあり得るとうなずいてしまうところに、この人物の器の大きさがあるのだろう。「百匁(もんめ)ろうそくは消える寸前に燃え上がる」という表現を彷彿とさせる。
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文=小出将則

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