「カス・クルート(casse-croûte)」、日本語の「弁当」に相当する単語だった。本来は労働者が仕事の休憩中に取る軽食を意味するのだが、屋外や仕事場でよく摂られるので、日本語の「弁当」のようなニュアンスとしてムッシュは私が渡したおにぎりをそう呼んだのである。
「カス・クルート」のもともとの意味は、「パンの皮(croûte)」を「砕く(case)」ために使用する道具だったそうである。日本語で「直訳」すれば「パン皮砕き」ということになる。
しかし、時の流れとともに、パンの皮を手で砕くという食事の前の行為が、食事そのものを表すようになり、最終的に日本語の「弁当」のような意味で使われるようになった。
後日、調べると、日本の「弁当」は「Casse-croûte des japonais」として紹介されていた。そして、いまでは日本の弁当を販売する店も少なくないためか、そのまま日本語の「bento」という言葉も定着している。フランス語になった「bento」が、歴史を経てきた「casse-croûte」という単語と共存しているようである。
以上のように、フランス語を日本語に「直訳」しても、本来の意味にたどり着かないことがよくある。それは言語には、話す人間のそれぞれの感性や考え方が反映されているからであろう。
つまり異国の言葉を理解するということは、その背後にある文化の違いを認識することでもあるのだ。私が語学学校で遭遇した「美しい母」や「大地のりんご」が、「義理の母」や「ジャガイモ」となるように。
人間の感性や考え方が違うように、表現方法は違う。しかし、必ず同じ意味の「ことば」は存在する。表現の仕方は異なるがフランス語で言えることは日本語でも言える。逆もまた然りである。