そんな旅の途中で、どこからともなく日本語が聞こえたりして、安堵を覚えたことはないだろうか。見知らぬ土地で懐かしい言葉が耳に入ってきたら、「あっ、日本人だ」と周囲を見回した経験はないだろうか。
ロンドンに初めて行ったのは、確か1992年のことだと思う。私はそのとき、渡仏してから数年が経っていた。そのため、母国語である日本語だけではなく、こちらで修得したフランス語にも敏感に反応した。どこからかフランス語が聞こえてくると、そちらのほうを振くようになっていた。
テムズ川をセーヌ川と呼んだ子供
初めて出かけたロンドンでは、定番の2階だての赤いバスに乗り、観光を満喫した。そのバスに、偶然、フランス人の家族が乗っていた。4歳か5歳ぐらいのよく喋る男の子と彼の両親だった。その男の子の話に注意を引かれながら、ロンドン市内見学を楽しんでいた。
ちょうどバスがテムズ川に近づいたときである。男の子が興奮して父親にこう言った。
「Regarde, papa ! Il y a la seine! (お父さん、見て。セーヌ川があるよ)」
父親は笑いながら、セーヌではなくテムズ川だと説明していたのを記憶している。男の子にとってテムズ川についての知識がなかったのは言うまでもない。それだけではなく、彼の「セーヌ(seine)」についての理解の仕方が興味深かった。
たぶん男の子がパリのセーヌ川を初めて見たとき、その名前を親が教えたのだと思う。彼の経験のなかでは、セーヌ川はただ単なる固有名詞としてではなく、一般名詞として認識されていたのだ。つまり、街の中を流れる大きな川はすべて「セーヌ(seine)」として理解されていた。
そのため同じように街の中を流れている大きな川を見たときに、「ここにもセーヌ川があった」と考えたのであろう。子供にとっては一般名詞と固有名詞の境界線は、はっきりしてはいないのだろう。ただ、それが子供の世界だけでなく、大人の世界でも似たような現象は起きることがある。