そういう必死になっているときは、無意識にいろいろな言葉が口から出るものなのだ。コンコルド広場を抜け出せそうになったとき、前後左右のタクシーに頼むように、私の運転手はこう言った。
「Avance、 Pierre! (進め、ピエール!)」
「Pousse-toi, Daniel! (ダニエル、前進しろ!)」
「c’est ça, Mohamed! (モハメッド、そうだ!)」
相手を名前で呼んでいるので私はてっきり「同じタクシー会社の仲間で、名前を知っているのだろう?」と思っていた。私は彼に「顔が広いね。みんなを知っているの?」と尋ねた。すると「誰も知らない」という答えが返ってきた。
日本に置き換えれば、知らない運転手に「おい、鈴木、早く行けよ」とか「田中、何やっているんだ?」と言っていることになる。
ただ、相手にはその言葉は聞こえないので、運転手も調子づけで言っているのだろうとは想像できた。それ以降、パリで何度かタクシーに乗るたびに、運転手のこういう言い方を聞くことになった。
フランスでは「ピエール」や「ダニエル」はかなりメジャーな名前だ。「モハメッド」もイスラム社会を代表する固有名詞である。なので、広く社会に波及した人名として、もはや固有名詞としてではなく、一般名詞としても機能しているのである。先ほどの運転手の言葉は、「そこの君、進め!」という感じだろうか。
英語では、「人形」という意味の「doll」という単語の起源が興味深い。ギリシャ語起源の女性名「Dorothy(ドロシー)」や「Dorothea(ドロシア)」の愛称である「Doll」に由来するものなのだ。人形に「Doll」という名前がつけられたことがきっかけに、そう呼ぶことが波及していき、現在では一般名詞として定着してしまったとされている。
言語は生き物である。人々に使われているうちに固有名詞が一般名詞化していくように、言葉は社会のなかでその意味を刻々と変化させていくのである。ある日、あなたのつけたネコの名前が、ネコという動物を指す言葉になるかもしれない。いや、いつの日か、あなたの名前が辞書に載り、一般名詞として使われる日が来るのかもしれない。