健康

2023.04.08 17:30

39歳、突然の別れ 地域に引き継がれた遺志 #人工呼吸のセラピスト


その後、私は関係者の話をうかがって押富さんの追悼記事を中日新聞医療面で書いた。葬儀から1カ月後の5月25日。奇しくも、彼女が40歳になっていたはずの誕生日だった。だが、1回きりの記事で書けることはあまりにわずかで、その後も足跡をたどる取材を重ねてこの連載に至っている。
 
押富さんの誕生日に載った追悼記事

押富さんの誕生日に載った追悼記事

NPO存続の危機 ごちゃまぜ運動会の行方

押富さんの死は、NPO法人ピース・トレランスの仲間たちにとっても激震だった。
 
河内屋さんは「彼女の思いを実現するために集まったNPOだから、彼女抜きには存在価値がないんじゃないかと、当初は解散を考えました」と振り返る。押富さん以外の理事はそれぞれに他の仕事があって、活動に注げる時間が限られているうえ、押富さんの企画力、交渉力、判断力をカバーするのは「とても無理」。
 
でも、コロナ禍まで3年続けてきた、障害あるなしに関わらず楽しめる「ごちゃまぜ運動会」を、このまま消滅させてしまうのは惜しいという声が他の理事たちから相次いだ。(*押富さん発案のごちゃまぜ運動会についてはこちらの記事を参照)
 
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生前の押富さんが市と交渉し、運営費用の面で応援を取り付けていたことも大きかった。議論を重ねた末、NPO存続が決まり、2代目の代表理事に河内屋さんが就任した。
 
副代表理事になった成瀬史宣さんは「会のシンボルとエンジンを失って、地域づくりに動けなくなったことは事実。でも、ごく一部かもしれないけど、思いをつなげていこうと考えた。押富さんのお母さんに報告にいったら、すごく喜んでくれた」と話した。
 
押富さんは自分の死後のNPO運営について希望は一切語っておらず、活動資料が入ったノートパソコンもキーワードが不明で開けなかった。いろんな準備を怠らない人なのに、不自然な気がした。
 
その思いを推し量るのは、専門学校時代の恩師・石本馨さんだ。講演に同行介助したり、相談相手になったりして支えていた。
 
「彼女は、自分がカリスマの存在であることを望んでいなかった。いなくても回っていくことを目指していました。だからNPOが存続すると聞いて、彼女の願いがかなったと思いました。ごちゃまぜ運動会はコンテンツ自体すごくおもしろいし、他の場所に広がっていくといいな」
 
この3月まで愛知県尾張旭市の福祉課障がい福祉係長を務めた中野陽子さんも熱いファンの一人だ。
 
「市と連携して続けていきたいという押富さんの思いを聞いていたし、私も実際に参加させていただいて、地域共生社会の進む姿が見えた。押富さんの背後に、障害者の方はたくさんいる。そういった方たちが外に出るきっかけになる活動であり、他の自治体にも広がっていけばと願っています」
 
5回目のごちゃまぜ運動会は、押富さんの誕生日に近いことし5月27日、尾張旭市の旭中学校体育館で開かれる。10人ほどの実行委員が中心となって、準備が進んでいる。
 
(本連載は、次回4/22が最終回です)
 
連載:人工呼吸のセラピスト

文、写真=安藤明夫

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