サイエンス

2023.04.14 09:15

1970年代の「ベル研究所」製AIチャットボットをめぐるミステリー

安井克至
現在61歳のピーター・ボッシュは、14歳のときにベル研に勤めていた父が仕事場からハードウェアを持ち帰り、それで遊んだことを思いだして「父がマシンを持ち帰ると大喜びしました」と生涯をソフトウェアエンジニアとして過ごしたボッシュはいう。彼のゴールは、私とは異なり、Red Fatherをできるだけ早く困らせることだった。「あなたのゲームが引き伸ばすことなら、私たちのゲームはできるだけ早く彼をいらつかせることでした」とボッシュは話した。

私の父は3年前に91歳で亡くなったため、Red Fatherについて父に聞くことはできない。当時の父の仲間で存命の人たちに聞いても誰も知らなかった。誰であれこのプログラムを開発した人は、もし生きているとしてもかなりの年齢になっているはずだ。

AT&Tで1988年から社史編纂の職務についているシェルドン・ホフハイザーが、企業アーカイブを徹底的に調べてくれたが何も見つからなかった。「憶測に過ぎませんが、ベル研の研究者がそういうプロジェクトに携わっていたことは珍しくなかったでしょう」と彼はいう。


ベル研究所のクロード・シャノンは機械学習の最初期の研究者であり、電動のネズミが一度の「練習」だけで間違えずに迷路を抜けられるところを見せた。1952年(KEYSTONE/Getty Images)

現在はシリコンバレーがイノベーションの発信源とされているが、最盛期のAT&Tベル研究所は技術研究の中心だった。1947年、ウィリアム・ショックレーは2人の共同研究者とともにここでトランジスタを発明してノーベル賞を受賞した。約20年後の1969年、ベル研の研究チームはUNIXオペレーティングシステムを発明した。1960年代後半のピーク時、ベル研には約1万5000人の従業員がいて、うち1200人は博士号取得者だったとジャーナリストのジョン・ガートナーが著書『世界の技術を支配する ベル研究所の興亡』で書いている。「Google(グーグル)以前の時代、ベル研は米国における知的ユートピアとしての役割を果たしていた」

その知的ユートピアの中で、情報理論の分野を確立したことで最もよく知られているクロード・シャノンは、機械学習を最も早くから研究していた。1950年代初期のデモンストレーション映像の中でシャノンは「テセウス」と名づけられた実物大の磁石ネズミが、迷路内を動き回り、うまくいった経路を将来のために記憶するところを見せた。「このネズミは経験から学ぶことができます」とシャノンは映像の中で話す。「新しい情報を追加し、変化に適応していきます」
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翻訳=高橋信夫

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