サイエンス

2023.04.14 09:15

1970年代の「ベル研究所」製AIチャットボットをめぐるミステリー

ベル研究所で働く人々。ニュージャージー州マレーヒル、1941年(HUM Images/Universal Images Group via Getty Images)

シャノンの仕事は機械学習の研究を始動させ、AIの道を切り開いたが、AT&Tの社史担当者であるホフハイザーによると、ベル研のアーカイブで技術メモの中に「人工知能(artificial intelligence)」という用語が出てくるのは1980年代になになってからだとういう。「シャノンから1980年代までの間に何が起きたのか、その答えはほとんど見つけることができていません」とホフハイザーはいう。「AI全体の歴史を見ると、問題は人工知能で何かをするためには、その時代のコンピュータよりはるかに大きなコンピュータが必要だったことです」
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チャットボットの歴史は、1960年代のMIT(マサチューセッツ工科大学)にまで遡る。1966年、MITの計算機科学者ジョセフ・ワイゼンバウムはEliza(イライザ)を開発した。名前は映画『マイ・フェア・レディ』のイライザ・ドゥーリトルに由来する。

「イライザのプログラムは、患者と心理療法士との会話を模倣し、人間の応答を使ってコンピュータの返答を構築した」とMITがワイゼンバウムの追悼記事に書いている。イライザの会話能力は限定的だったが、それを使った学生やその他の人々はイライザに魅せられ、中には私生活の詳細を打ち明ける人もいた。イライザは初期のさまざまなチャットボットにとってインスピレーションの源になったが、ワイゼンバウム自身はAIに幻滅を感じ、後にかつて自分が開発したテクノロジーに対して警告を発した。1967年の著書『コンピュータ・パワー―人工知能と人間の理性』で彼は、コンピュータ化された意思決定による人間性喪失の可能性を警告した。

「ジョー(・ワイゼンバウム)はイライザの反応にひどく狼狽し、AI楽観論に対して批判的になりました」と、MITコンピュータ科学・人工知能研究所のシニア・リサーチ・サイエンティストで、ワイゼンバウムをよく知るデビッド・クラークはいう。イライザは、ワイゼンバウムが開発したSLIPというプログラミング言語で書かれたもので、ワイゼンバウムはその言語を紹介するためにイライザを開発したに違いないとクラークはいう。「彼はその言語で何ができるかを示したかったのでしょう。そして恐怖に陥ったのです」
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翻訳=高橋信夫

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