組織が成長するほど「仕組み」が大切
規律ある組織ほど、有事に備えたバックアップ体制が確立されている。不測の事態が起きても社内が混乱しない仕組みを、平時から整備しておくべきだ──。将来の成長を見据え、多田はこうした仕組みを次々と導入していった。実際、多田が当時指名した副社長が、現社長の酒井哲也だった。酒井は15年入社後、事業でのさまざまな役割を担い、多田の指名でビズリーチ事業本部長に就任した。多田の右腕として、二人三脚でビズリーチの拡大をけん引した立役者のひとりだ。副社長就任を機に、ビズリーチのみならずビジョナルグループ全体の役員会議にも参加し、グループ経営の重要な意思決定の場にも立ち会っていた。
「副社長のポストがなければ、後継社長の決定にはもっと時間が必要だっただろう」。こう酒井は振り返る。当時は多田と酒井がこだわってつくった副社長の真の意図を南は理解できなかったが、酒井の社長就任は多田の打っていた布石によってスムーズに進んだのは間違いない。
多田は酒井にこう言っていたという。
「守破離の『守』を徹底してつくり、組織の力で勝つ。それがビズリーチの強さだ」
南を中心とした個性の強い創業メンバーたちを間近で見てきた多田こその考えだろう。創業者たちが築き上げた功績を引き継ぎつつも、それに過度に依存しない仕組みをつくるバランス感覚が、多田の経営者としての真骨頂だったといえる。
「何十年先を見据え、創業メンバーたちが去った後も揺るぎない組織をどう構築するか。その体制づくりを多田さんと着実につくり上げていた」。こう酒井は振り返る。
多田とともにつくり上げてきた経営体制によって道筋はできていたとはいえ、酒井にとっても社長就任は青天の霹靂(へきれき)だ。
「多田の死を含めて、自分自身が変化を受け止めて消化する時間が必要だった」。
酒井は異色のキャリアのもち主だ。新卒で入社したスポーツのライセンス・ビジネスを手がける会社が経営破綻。その後リクルートに転じ、営業組織の部門長など実績を積んだ。南から熱烈なアプローチを受けて15年にビズリーチに入社した。
「物事の本質を突く力、きめ細やかな実行力、人を巻き込むバランス感覚は群を抜いている」と南は高く評価する。