社長の急死、そのとき社員に何を語ったか ビズリーチ新社長と創業者が明かす秘話

(左から)酒井哲也・南 壮一郎

酒井が南から次の社長を託されたのは、多田が死去した翌日。酒井も覚悟を決めた。その数日後、定例の全社朝礼がオンラインで開かれた。誰もが新社長が何を言うのか、その言葉を待っていた。社員たちが酒井に視線を注ぐと、酒井は口を開き、こう語り出した。

「苦しいものは苦しいし、悲しいものは悲しい。起きたことを否定的に捉えても、何も進まない。だからこそ、悲しみを強い決意に変えて前に進もう」

感じていることをそのまま飾らずに、彼は話し続けた。自分も揺れている、辛いものは否定しようがない、だから事態を受け入れて歩こう、と率直な気持ちを伝えたのだった。

聞いていた社員はこう思ったという。

「無理に気丈に振舞わなくていいんだ」と。新たなトップと一緒の気持ちになれた──。これがこのときに感じた正直な思いだった。

では、新経営体制はどうしていくのか。遺族や社員の心のケア、また株式市場や顧客にはどう説明するのか。「時間はいくらあっても足りなかった」と酒井は言う。

ここに、南のひとつの判断があった。「ご家族や社員のサポート、そして株式市場など社外フォローは自分が引き受ける。だから、酒井さんは自分らしい経営のあり方、そして会社運営を考えることにすべての時間を割いてほしい」。

1カ月後に行われた全社キックオフで、酒井は「日本の『キャリアインフラ』になる」というビジョンの実現を変わらず目指すと宣言した。

そして「描いた未来は、必ず実現する」という多田の言葉を引き継ぎ、社員たちにこう約束した。「描いた未来『を』必ず実現する」──。

この実現に向けて酒井は話した。「一体感を強要するのではなく、社員・組織の多様性を重んじたうえで、それぞれが自発的に同じ目標に向かってまい進できる文化をつくる」。酒井自身がずっと大切にしてきた価値観だ。これを自らの強い意志として告げたのだ。

社員が言葉をもち寄って前に進んだ

酒井が経営と向き合いながら奮闘する裏で、南はそのサポートに動いていた。「多田の死を社員のみんなが受け止め、前に進む機会が必要だ」と感じ、多田との別れの場を用意できないかと考えた。

「多田さんとの思い出をみんなで語り合おう」。南は、社内のスラックに多田との思い出や写真を投稿してもらう追悼用のチャンネルを開設した。別れのプロセスを設け、各人が多田との思い出を共有できる場をつくることで、組織全体の気持ちを前に進めようとしたのだ。

多田が約8年間、毎週社内に送り続けていたメールマガジンの内容、面接や営業現場での秘話、社内イベントやプライベートでの出来事。スラックチャンネルは多田との楽しい思い出話に花が咲いた。

南は社外へのコミュニケーションでも、多田に相応しい言葉と行動で惜別を示そうと考えた。

「多田の経営者としての生き様をいかに伝えていくべきか」。南は杓子定規な会社リリースの文面ではなく、多田の経営者としての実績や姿、感謝の気持ちを一本のブログ記事で報告することにした。

ビズリーチ急成長の立役者だったこと。ダイレクトリクルーティングの育ての親だったこと。そして何よりも、自分にとってのかけがえのない仲間だったこと。自らの言葉で、多田への思いをつづった。
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文 = 蛯谷 敏 写真 = ヤン・ブース 編集 = 神吉弘邦

この記事は 「Forbes JAPAN 特集◎私を覚醒させる言葉」に掲載されています。 定期購読はこちら >>

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