フロンティアな地域で酒のフロンティアを切り開く
佐藤と妻の佐藤みずきが縁もゆかりもない小高区を創業の場に選んだのは、ある記事がきっかけだった。
2011年に発生した福島第一原発事故後、2016年まで避難指示区域になっていた小高区。そこで起業支援や移住促進を行なっていた「小高ワーカーズベース」代表の和田智行(ともゆき)のインタビューを読んだ佐藤は心を揺さぶられた。
「人口が一度ゼロになり、避難指示解除後も人口が少なく、普通だったらネガティブに捉えてしまう状況。でも、和田さんはフロンティアな地域だと捉えていました。インフラなど機能は残っているのに人が住まなくなってしまった町って世界的に見てもほとんどない。そんな町でゼロから地域の暮らしや文化をつくっていく活動をしていらっしゃることを知って、酒蔵として果たせるような役割がありそうだなと感じました」(佐藤)
「酒蔵とはその地域を表現する存在」と佐藤は言う。だからこそ、自分たちがやろうとしている酒蔵は小高区にぴったりだ。そんな直感が佐藤夫妻を小高区に引き寄せた。
「ぼくらがやろうとしている酒蔵っていわゆる伝統的な日本酒蔵ではなく、日本酒のフロンティアを切り開いていくようなものづくり。酒蔵としてやろうとしている酒づくりの表現がまさにこの地域に合うように感じたんです」(佐藤)
前衛的でありながら発酵文化の源流を表現
オープンから2年余りたった今年5月には、隣の浪江町でもhaccobaの酒蔵を新しくオープンする。
旧避難指示区域にあたる小高区の居住人口は3820人(2023年2月末時点、小高区に住民票があり小高区に居住している人数)で、震災前の約1万3000人に比べると約3割にとどまる。
一方で、旧帰還困難区域などにあたる浪江町は震災前の約21500人に比べると、居住人口は1964人(2023年2月末時点)と約1割だ。活気や日常を取り戻すためにも、「自治体区分を無視して地域全体で文化や人の流れを生み出せるきっかけを酒蔵として作れたら」と佐藤は言う。
さらに数年以内には、ベルギーでも酒蔵のオープンを目指している。「ベルギービールの文化はドブロク文化に近く、地域ごと集落ごとの製法が各地で多様に残っている。ビルギービールには酸味が強いビールもあるので自分たちの酒にも合うだろうなと思っています」。新しいことに挑戦し続けるhaccobaの酒づくりの根っこにはあるのは、あくまでドブロクやホームブリューイングの文化だ。
発酵文化の源流を表現しながらも、先入観や制約を取り払ったアバンギャルドなクラフトサケは、国内消費が低迷する日本酒再興の切り札となるか。新進気鋭のクラフトサケに大きな期待を抱かずにはいられない。