リンクトインやFacebook(フェイスブック)にログインして、フィードをスクロールするのは、日常のありふれた出来事だろう。たくさんのコメントや、活発な議論を目にするだろう。しかし、それはすべて策略なのだ。ソーシャルメディアプラットフォームは、AIアカウントがディスカッション(やコメント)を生み出すことを許可し、さらにそれを実現しようとしている。それらはあなたの興味と嗜好に向けて作られたものなのだ。なにしろソーシャルメディアネットワークは、あなたが何を好み、何をフォローしているかを知っているわけだから、そのチャットは常に魅力的に映るだろう。
Instagram(インスタグラム)やTikTok(ティックトック)では、ボットがあなたの好きな写真や動画を知ることができる。しかし、そこに人間の存在がなければ、すべては注意をさらに引きつけ、長く夢中にさせ、興味に細かく合わせた広告を見せるための手段に過ぎなくなるだろう。あまりにも悲惨に聞こえるかもしれないが、映画『マトリックス』を思い出してほしい(世界に5人位はいるであろう、この映画見をたことがない人はネタバレ注意)。主人公のネオが自分がチューブの中の電池に過ぎないことに気付いた瞬間のことを。
私たちが人間のように振る舞うAIボットに囲まれ、人間が生成したのではないコンテンツを見たり、アルゴリズムで動く広告を見たりするようになったら、『マトリックス』と同じような感覚になるだろう。どれもこれも現実味がなくなり、そして、そのうちのひとつに価値が与えられる。
イーロン・マスクやマーク・ザッカーバーグには申し訳ないが、そのときこそ、私たちが首の後ろに手を伸ばしてコードを引き抜くタイミングなのかもしれない。ソーシャルメディアがついに私たちへの支配力を失い、結局のところ、私たちを彼らの広告につなぎとめておくために作られたものだと気付くタイミングなのかもしれない。そうした悪夢が実現する前に、目を覚ましたいものだが。
(forbes.com 原文)