SNSにあふれる「逆共感」、ユーザー体験を台無しに

Getty Images

ソーシャルメディアは、使い方次第では人の精神をすり減らしてしまう。もちろん大切なのは、そうならないように対策を講じることだ。

この10年間でTwitter(ツイッター)などのアプリが登場したことで、誰もが自分の本音を投稿でき、アイデアや視点を多くの人々と共有できるようになった。また、著名人の内心や個人的な信念に触れることもできるようになった。政治家がSNSで重大発表をするようになり、私たちはフォローする世界的な著名人がまるで自分に直接語りかけてくるかのように感じるようになった。

だが私たちは、こうした人々の投稿に、どう反応してきたのだろう?

ソーシャルメディアが誕生してからのトレンドと人々の感情を追跡してみると、私たちが常に共感をもって反応してきたわけではないことがわかる。ある調査では、過去5年間でソーシャルメディアへの投稿は一貫してネガティブなものに変化していることが示された。アルゴリズムの調整により、怒りを呼ぶネガティブなコンテンツがますます好まれ、拡散されるようになったのだ。


私は、Facebook(フェイスブック)のコメントやツイッターの返信などで見られる典型的なやりとりを表現するのに、「逆共感(リバース・エンパシー)」という言葉を使ってきた。

逆共感とは、憎悪に満ちたコメントや攻撃があると、相手の気持ちを考えないどころか、むしろ共感とは逆の形で反応をすることだ。相手を励ましたり、理解を示すのではなく、相手が嘲笑され、侮辱されたと感じるような方法で批判する行為だ。

ここで簡単な例を挙げよう

私は最近、環境活動家のグレタ・トゥーンベリが自身の新著『気候変動と環境危機 いま私たちにできること』について行ったツイッター投稿に関する記事を執筆した。共感を持つ人は、たとえトゥーンベリの意見に反対であっても、本の執筆という大変な作業を弱冠20歳で成し遂げた努力をたたえたことだろう。書籍出版のための調査と執筆は何カ月、あるいは何年かかることもある過酷なものであり、私は1冊書くのに1年半かかった。

逆共感は、時限爆弾を仕掛け、できるだけ多くの損害を与えるようとする。あるユーザーはツイートへの返信で、トゥーンベリに「この本はクレヨンで書いたのですか?」と尋ねた。 これは、逆共感の典型的な例だ。もし、トゥーンベリがこのコメントを読んだら、傷つくかもしれない。(彼女が自分のツイッターのコメントを読んでいるかどうかは疑問だが)

逆共感は、SNSアプリが普及して以来、ソーシャルメディアにおける典型的な行動様式となった。その大きな理由は、ソーシャルメディアでの匿名性の高さにある。自分の身元が知られることがないため、逆共感が助長され、攻撃的な批判が何ら罰則を受けることなく許されてしまっている。

もちろん解決策は、匿名性という幻想をなくすことだ。

投稿の裏には生身の人間がいる。批判や嘲笑をしたいだけの人は、少なくとも何らかの形で責任を負うべきだ。ソーシャルメディアの良いところは、優れたアイデアが表に出られることのはずだった。だが現実には、最も強い批判をする人たちが注目を独占する形になってしまっている。

せめて、批判している人が誰なのかを知る方法があればいいのだが。そうすれば、本当の意味での共感が少しは増えるかもしれない。

forbes.com 原文

翻訳=Akihito Mizukoshi

ForbesBrandVoice

人気記事