すぐ横のカウンターには、常連客の女性が一人でいて、押富さんの笑顔と食べっぷりに好感を抱いたらしく「おいしい? マスターの料理、やさしいお味だよね」と話しかけてきた。「色もきれい」と押富さんが答えたら「きれいだよね、イエーイ!」と、テンションが高い。そのまま「イエーイ!」の交換が続いた。
帰る段になって、押富さんは車いすのフットレストを外して幅を縮め、外に出た。すると、酔っていた女性も一緒に外に出て、てきぱきと組み立てを手伝ってくれる。
「大丈夫だよ、その人、看護師さんだから」。マスターの言葉に驚いていたら、その女性も「そうなの、看護師さん。イエーイ!」と返す。
こういうふうにして、押富さんは友達の輪を広げてきたんだと思った。どこにいても、初めて会った人を惹きつける存在なのだ。マスターからも「絶対にまた来てください」と握手を求められていた。
遺稿「生活全体をイメージしたかかわり」に込めた思い
押富さんは翌21年3月に出版された専門誌「臨床作業療法NOVA」(青海社)に「生活全体をイメージしたかかわりこそが」という論文を寄稿していて、これが遺稿になった。ここでも強調しているのが「人生を楽しむこと」だ。病院でのリハビリは、ADL(Activities of Daily Living=日常生活動作)に焦点を当てたものになりやすい。つまり、移動、排泄、食事、入浴、着替えなどの自立や介助を減らすことに価値が置かれる。
でも、地域に戻った後は、ADLに関する時間よりも「自分のための時間」のほうが圧倒的に長い。例に挙げたのは「久しぶりに友人とランチに行くとき」。
今の押富さんは、頑張れば何とか自力で着替えをすることもできる。でも、着替えに頑張って疲れ果ててしまったら、友人との食事や会話が楽しめない。優先順位の一番上に置くべきは自分のための時間をいかに楽しむかだ。そのためにも、支援者はコミュニケーションをしっかり取り、当事者の思いを上手に引き出して「生活全体をイメージしたかかわりを大事に」と呼び掛けている。
この特集号の編集者の田島明子さん(湘南医療大学教授・作業療法士)は「彼女の書くものは医療の批判をする場合も、とても真っ当で過度な権利要求はまったくない。常に相手のことも配慮しつつ書いていた」と話す。
田島さんは、浜松市の聖隷クリストファー大学に勤務していた2015年から19年にかけて、押富さんと当事者セラピストの相棒・山田隆司さんを毎年ゲスト講師に呼んでいた。
ナイーブな山田さんと、サバサバした性格の押富さんが好対照で、掛け合い漫才のようなトークの中にも、2人の障害体験と障害への受け止め方の違いが見えて、学びの多い講義だった。
浜松に行くときは、押富さんはいつも山田さんの車に乗せてもらい、ランチにウナギを食べてから大学に向かうのが定番だった。終わってからは田島さんも交え、フランス料理店でおしゃべりを楽しんだ。
役割を持ち、前向きに生きる人たちを「障害者」という枠組みで語るのは難しい。だからこそ「生活全体をイメージしたかかわり」が重要なのだ。
連載:人工呼吸のセラピスト