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2023.02.23

レトロゲームに対する不健全なノスタルジー

Getty Images

不健全なのめり込みについては私にも経験がある。かつて私はハムスター・ホイールのレトロコレクションを何年も続けていたが、ついには衝動的な自暴自棄にかられて投げ出した。少なくとも私の場合、過去に対する強迫観念はその世界から離れるための具体的な行動を起こさない限り、終わらないということだ。最後まで十分に集めたことはなかったし、過去について十分に思い悩んだこともなかった。ほかのあらゆる中毒と同じく、もっと、もっと、もっとという飢えが満たされることはないのである。

つまりはこういうことだ。どれほど頑張ろうとも、どれほど多くのゲームを集めようとも、何十年も前に心から愛したゲームの再リリースとリマスターとリメイクをどれほど熱烈に要求しようとも、あの頃の時間やあの頃の感覚を再現することはできない。そして、放っておくと深刻な精神衛生問題につながりかねず、場合によってはある種のうつ状態にもなるとHealthlineは説明している。

「過去(取り戻すことのできないもの)への強い欲求は、現在の不満を加速します。そしてノスタルジーによる抑うつが、深い絶望と落胆の色で憧れを塗りかえるでしょう」

多くのレトロゲーマーがこういうかたちで過去に思いを巡らしてきた話を聞いている。ゲームなんてもうおもしろくないとか、メーカーは「前みたいなゲームを作らなくなった」とか。私たちは過去25年間にゲーム業界の中で多くの純真さを失ってきたが、90年代にこのメディアがいかに未熟であったかを考えればそれも予想できたことだ。しかし、私たちが愛したゲームの数々を、再体験することなく、懐かしむことはできないのだろうか?

過去への執着と、そのパラダイムの中で生きることによって必然的に起きる失望という繰り返されるトレンドについて、いくつか思うところ書いてきた。多くのレトロゲーマーが何の問題もなくゴールデンアイを楽しんでいることを私は知っているし、この文章はそういう人たちに向けられたものではない。そうではなく、過去を偶像化し、子どもの頃の魔法を取り戻すことは不可能に近いとを知っていながら、前へ進むことのできない私のようなゲーマーに向けたものだ。

今でも私はPS PlusでPS1のクラシックゲームを再びプレイするのを楽しみにしているが、幸いなことに、こうした昔のタイトルに対して、期待しすぎることなく楽しめるレベルの平静さを取り戻すことができている。ゲームの歴史を覚えておくことは重要だが、それによって真実に目を向けたり、受け入れたりすることが妨げられないよう注意しなくてはならない。

forbes.com 原文

翻訳=高橋信夫

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