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2023.02.23 14:30

レトロゲームに対する不健全なノスタルジー

それはそうと、ゴールデンアイという発売から26年になろうとするタイトルに対する現代の反応が興味深い。なぜなら、初めてプレイする人たちはこのゲームをフレッシュな目で見るのであって、その背景について何の知識もないからだ。そして私が思うに、ゲーム・ノスタルジーが何よりも必要としているのはそこなのだろう。ゲームが発売された当時自分がそこにいた感覚。90年代後半、うぶなミレニアル世代のことばで言い表せない感覚だ。

これは、若い現代ゲーマーがクラシックゲームを理解できないと言っているのではない。古臭いビジュアルにも関わらず、ゴールデンアイは今も驚くほど楽しくプレイできるゲームであり、新世代の何割かはおもしろいと思うに違いない、それは一種自慢げなかたちであるかもしれないが。

加えて、ゲーム業界は他のエンターテインメントメディアと比べて比較的若く、この程度の時間を遡るのにさほど注意も努力も説明もいらない。今回のように便利なデジタル再リリースならなおさらだ。ミリ映画のリールを探し出すとかいうのとは違う。昔のゲームは概してコンパクトで、扱いやすいROMに入っているので、(倫理的議論はおくとして)この公式バージョンが提供される前からゴールデンアイのエミュレーションは存在していて、レトロ愛好家の間ではそれなりに人気だった。

しかし1997年以降のテクノロジーとデザインの急速な進歩によって、若いゲーマーの中にはゴールデンアイを完成版のゲームではなく、プロトタイプだと思う人も多いと私は想像する。それはあながち間違いではないかもしれない。実際多くのFPSタイトルの再リリース計画も発表されてきている。しかし、正直なところ、こうしたレトロゲームへのこだわりに対して、私はイラつき始めている。その理由を説明してみる。

ゴールデンアイへの反応で多かったのが、子どものころこのゲームが大好きだったけれど、いま1つ盛り上がらないというもので、正直私も同意せざるをえない。ただし、実は、このゲームは盛り上がるべきものではない。世界は変わった。私たちも変わった。業界も変わったのだ。

しかし、レトロゲーマー、中でもレトロコレクターたちは、この理想化した過去に、不健全なかたちでしがみついているのだと私は思う。

YouTube(ユーチューブ)のゲーミング・チャンネル「TV and Lust」のクレイグが、まさにこの話題に関する興味深いツイートをしている。

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翻訳=高橋信夫

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