これは、若い現代ゲーマーがクラシックゲームを理解できないと言っているのではない。古臭いビジュアルにも関わらず、ゴールデンアイは今も驚くほど楽しくプレイできるゲームであり、新世代の何割かはおもしろいと思うに違いない、それは一種自慢げなかたちであるかもしれないが。
加えて、ゲーム業界は他のエンターテインメントメディアと比べて比較的若く、この程度の時間を遡るのにさほど注意も努力も説明もいらない。今回のように便利なデジタル再リリースならなおさらだ。ミリ映画のリールを探し出すとかいうのとは違う。昔のゲームは概してコンパクトで、扱いやすいROMに入っているので、(倫理的議論はおくとして)この公式バージョンが提供される前からゴールデンアイのエミュレーションは存在していて、レトロ愛好家の間ではそれなりに人気だった。
しかし1997年以降のテクノロジーとデザインの急速な進歩によって、若いゲーマーの中にはゴールデンアイを完成版のゲームではなく、プロトタイプだと思う人も多いと私は想像する。それはあながち間違いではないかもしれない。実際多くのFPSタイトルの再リリース計画も発表されてきている。しかし、正直なところ、こうしたレトロゲームへのこだわりに対して、私はイラつき始めている。その理由を説明してみる。
ゴールデンアイへの反応で多かったのが、子どものころこのゲームが大好きだったけれど、いま1つ盛り上がらないというもので、正直私も同意せざるをえない。ただし、実は、このゲームは盛り上がるべきものではない。世界は変わった。私たちも変わった。業界も変わったのだ。
しかし、レトロゲーマー、中でもレトロコレクターたちは、この理想化した過去に、不健全なかたちでしがみついているのだと私は思う。
YouTube(ユーチューブ)のゲーミング・チャンネル「TV and Lust」のクレイグが、まさにこの話題に関する興味深いツイートをしている。
Lots of GoldenEye aging discourse. It’s ok to not be as into old things, even highly influential things you once enjoyed. Time passes. Let it. I think we spend too much effort trying to convince ourselves good things are enjoyable forever and that’s often not the case.
— Craig (@tvandlust) January 28, 2023