筆者と梁さんの母親は、敗戦時に運命が分かれたが、こうして2世である2人が東京で邂逅している。そう思うと、特別な感慨を胸に抱いてしまうのである。
彼にこの話をしたこともあるが、あまりピンとこないようだった。だが、彼は友人に筆者を紹介するとき、こんな風に言う。「ぼくより中国や自分の故郷である東北地方を訪ね、よく知っている」と。それはきっと彼にとっても、嬉しいことなのだと思う。
2016年に「味坊鉄鍋荘」をオープンしてからの6年間が、味坊集団の第3期といえるだろう。
「なぜそんなに頑張るの?」と彼に訊ねたことがある。すると、「やりたいことがたくさんあるから」という。「(自分はせっかくチャンスに恵まれたのだから)やらなければならないと思っている」とも。
梁さんの数あるやりたいことのうち、2つだけ挙げると、次のようなものだという。まず、一般家庭で簡単な羊料理がつくれるレシピを日本人に伝えたいこと。
そして、中国東北地方の餃子がそうであるように、日本各地の餃子の具材に、その土地ごとの旬の食材を採り入れたメニューを開発すること。「(豚肉とキャベツだけではつまらない)餃子の具はもっと自由でいいはずだ!」と、梁さんは最近会うたびにそう話している。