今後の課題:将来は世界遺産に─?
筆者も運営に関与している「3.11伝承ロード推進機構」(震災遺構、伝承施設に関する情報発信と広報等を目的とし、令和元年8月に一般財団法人として設立。令和4年3月末現在、青森・岩手・宮城・福島4県で計302件の震災伝承施設が登録されている)の理事、原田吉信氏は、これら30件の震災遺構を、将来世界遺産に認定してもらいたい、と考えている。筆者もその考えにシンパシーを感じるものである。一方、これは過去に何度も議論されてきた話題でもある。いくつかのポイントが考えられるだろう。
世界遺産の登録基準には、文化的なもの(6つ)、自然的なもの(4つ)計10種の類型が定義されている。これは、世界遺産条約中に言及されるOUV(OutstandingUniversalValue:顕著な普遍的価値)の要件として、「世界遺産条約履行のための作業指針」para.77において定義されている。
原爆ドームの例を想起すれば、本件のカテゴリとしては
「vi)顕著な普遍的な意義を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、或いは文学的作品と直接又は実質的関連があるもの(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)」
に含まれるのが自然な発想であるが、それでは、戦争・内戦などと同等のカテゴリ分けを良しとするのか、そも文化・自然いずれの側面も持つ事物が既存のカテゴリに収まるのか、議論を呼ぶだろう。
一方、認定要件とされている、国内法に基づく政府の保護(文化財保護法による指定)、保存管理計画の策定実施も、「当時の現場をそのまま維持する」というコンセプトとの関係において熟考を求められる事項であろう。
認定されるにふさわしい時期はいつだろうか。50年後、あるいは不幸にして次に津波が来襲し、教訓が生かされた後こそふさわしいのではないか、と、筆者は考える。歴史資料の分析によれば、当地域は平均して46年に一度は津波に襲われている(内閣府中央防災会議─災害教訓の継承に関する専門調査会「1896明治三陸地震津波報告書」(平成17年3月)「第1章三陸地方の津波災害概要」より)地域であることを考えるに、その教訓を地域の力で維持する努力は、最低でも50年は継続しなければならないだろうし、また継続する意義がある、と考えるのは酷なことだろうか。
語り部の役割は「外部」に向けてはたらく
語り部の役割は、その災害を経験していない人々、すなわち外部に向けられている。実際に体験し心に傷を負った方達にとって、遺構に触れ、その話を聞くことは、ご自身の傷と向き合う辛さがあるに違いない。仙台市内で話を伺っても、遺構を訪れたことが無い、という人は存外に多いのである。時代が下っていくにつれ、語り部の方々が向き合う先は、同じ地域だが震災を経験していない世代に属す人々、近隣に移ってきたが被害を知らない人々、今まで真摯に向き合ってこなかったことを悔やんでいる人々、『内側の外部』とも言うべき対象に移っていくことになるだろうし、メッセージのあり方も変わってくるだろう。
震災から10年以上が経過し、次の世代が生まれ育つ現在、記憶を過不足なく伝達する正念場なのだろう、と思われる。語り部の方々も年を取り、デジタルアーカイブなどの取組みが精力的に行われている。潮風にさらされた遺構にも経年変化が認められ、維持修繕が必要となっている。
逆説的ではあるが「生の体験」「本物の持つ重み」など、これまで当然あるものと見なされてきた価値は、今後不断に問い直されることになるだろう。マスメディアによる二次加工や美談・感動物語への安易な転化にも注意しなければならぬ。そのためにも、絶えず原典/原点に立ち戻る場所として、震災遺構の意義は引き続き重要と考える。