国内

2023.03.04 12:30

「感傷ではなく恐怖を」 震災遺構は観光資源、世界遺産たりうるか

モノの持つ凄み、周囲との違和感

遺構は語らないが、見る者に重い課題を突きつける。鉄骨の歪み、地上3階に流れ着いたままの自動車、寄せ波引き波の連続で失われた壁や窓、津波の理不尽な力に文字通り翻弄された現場がそのまま残されていることで、私たちは否応なく当時の状況を想像する。

いずれもかつては住居と賑わいのあった地域であるが、それらの多くは震災後居住禁止区域に指定された。あるいは公園として整備され、あるいは活用を模索するなかで整地されたままとなっている。そうした場所に居つづける遺構は、見方によっては「違和感のかたまり」である。しかし、その違和感を手掛かりに、その場所がかつて市街地であったこと、地域住民の生活がそこに存在していたことに思いを馳せることができる。違和感こそが重要なのだ、と改めて思う。

南三陸町防災庁舎

津波の到来を直前まで放送し続け、犠牲となった職員がいたことで知られるようになった構造物である。現在は公園の一部として整備されている。傍らを流れる志津川に新たに盛られた築堤の高さ、芝と植樹に囲まれて立つ違和感は、当時の津波の到達水位の凄まじさや、失われた周辺の市街地の存在を強く喚起する。

向かって右手が志津川、左側には中心市街地があった

向かって右手が志津川、左側には中心市街地があった


左(海)から右奥に向かって津波が壁を抜いて行った

左(海)から右奥に向かって津波が壁を抜いて行った

「全ての遺構は慎重な解説を必要としている」

来訪者がその場で感じた違和感を深堀りせず、腹落ちしないまま終わらせないためにも、遺構は解説を必要としている。校舎の中に安全な見学路を作り解説板を置く、教室を活用して当時の関係者(教職員、自治体・町内会の方々)のインタビュー動画・写真を行程に埋め込む、語り部の方々によるガイドツアー、さまざまな試みは、意識的な控えめさとも言うべきか、誇張を排し慎重なメッセージを発している点で共鳴している、と感じた。だからと言って災害のインパクトが減ぜられていることはない。過不足なく誠実で、目的に適ったものである。

感傷ではなく恐怖を

では、そのメッセージとは何か。先日南三陸で開催された『全国被災地語り部シンポジウム』に参加されていた、ある語り部の方の発言が印象に残っている。震災の被災地域の方である。

「話し終えたあと、必ず聞くようにしていることがある。『今日の私の話が怖かった人は手を挙げてほしい』。手を挙げてくれる人がいれば、私は、やるべきことをした、と安心することができる」

それぞれの遺構に、それぞれ語られるべき事実がある。それらは美談ではないし、美談で片づけることは望まれていない。生き延びた方々も、果たして判断が正しかったのか自問自答を続けていたり、あるいは救い切れなかった方々に対する自責の念を抱いたり、いまでも多くの傷を持ち続けていることが伝わってくる。みなさん苦しみながらも、次につながる教訓を引き出そうとしているのである。

各サイトで地域の方々によるインタビュー動画や証言集を拝見した。津波がいかに理不尽であり、想定を超える災害であったか、何よりもその恐ろしさを伝えたい、という深い意志を感じ取ることができた。感傷ではなく恐怖を、美談ではなく教訓を残そうと苦闘される関係者の尽力に敬意をあらわしたい。
次ページ > 将来は世界遺産に?

文・写真=松岡基嗣

ForbesBrandVoice

人気記事