国内

2023.03.04

「感傷ではなく恐怖を」 震災遺構は観光資源、世界遺産たりうるか

宮城県石巻市立門脇小学校、現在の様子

宮城県石巻市立門脇小学校

生徒・教師は繰り返し避難訓練を実施しており、当日も地震直後から裏山(日和山)へ整然とのぼり、難を逃れた。一方、石巻市は犠牲者が突出して多かった自治体である。沿岸のタンクが津波で流された結果、夜にかけて浸水地域全域で発生した火災(津波火災)の傷跡が校舎内・あるいは外壁に残っている。

現在は伝承館を併設。イギリス出身で震災後当地に残る決断をした館長に会うこともできる。

津波火災の被害状況は、他と大きく様相が異なる。校舎内、天板が燃えて失われた学習机が並ぶ教室

津波火災の被害状況は、他と大きく様相が異なる。校舎内、天板が燃えて失われた学習机が並ぶ教室

石巻南浜津波復興祈念公園から北を望む。左手に見える門脇小学校の裏手から、生徒や教師、住民の方々は右手奥の日和山山頂まで避難した。

石巻南浜津波復興祈念公園から北を望む。左手に見える門脇小学校の裏手から、生徒や教師、住民の方々は右手奥の日和山山頂まで避難した。

岩手県陸前高田市立気仙中学校

気仙川は気仙沼市とは別の地域を流れる。その河口近くに校舎がある。地震後校庭に集合、想定より高い津波予報が発せられたことから、二次避難所と想定していた気仙小学校(結果的に津波が到達)を断念、教師により確認されていた険しい山越えルートを選択した判断が奏功し、全員が無事であった。津波は3階建て校舎の屋上を越えた。

「奇跡の一本松」などと共に「高田松原津波復興祈念公園」として一体整備されている。

津波の到達水位は屋上を越えている。校舎内に入るためには事前のガイドツアー予約が必要

津波の到達水位は屋上を越えている。校舎内に入るためには事前のガイドツアー予約が必要

宮城県立気仙沼向洋高校

課外活動中で生徒の多くは校舎外にいたため、避難場所とされていた高台にある地福寺へ移動したが、念のためさらに高台にあった陸前階上駅、さらに上の階上中学校まで逃げることで、最終的に全員が無事であった。

データ保存等のため校舎内に残った教職員は3階への避難を想定していたところ、念のため4階、さらに屋上へ避難。結果的に4階床から1mの高さまで津波が到達した。

事前に周到に準備されたマニュアルを守る一方、それを破ってさらに安全な場所を目指す判断・行動が印象的。現在は県が主体となり「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」として整備・公開されている。

3階に流れ着いた自動車

3階に流れ着いた自動車


福島県浪江町立請戸小学校

2階建て/屋上の無い校舎でもあり、地震後早々に行動を開始し2km離れた裏手の大平山へ避難した。

津波後に通りがかったトラック運転手さんの機転で全員を役場まで移動、安全な場所で夜を明かすことができた。

津波が襲った体育館。どこの学校も、卒業式の準備の時期に津波に襲われている

津波が襲った体育館。どこの学校も、卒業式の準備の時期に津波に襲われている

宮城県山元町立中浜小学校

ここも2階建て校舎。津波の到達が想定より早い、との報を受け、離れた避難場所への移動を断念、教師のみ知る屋上の倉庫へ避難、一夜を明かした。もともと周囲から2m嵩上げした地盤に建設されていたことも幸いし、津波はかろうじて屋上まで到達せず、犠牲者は出なかったが、それでもなお、校長先生は判断が正しかったのか、今も自問し続けている。

筆者の世代には馴染みぶかい木組みの床。学期末には屹度ワックスがけをしていたであろう床材が散乱したままになっている

筆者の世代には馴染みぶかい木組みの床。学期末には屹度ワックスがけをしていたであろう床材が散乱したままになっている



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文・写真=松岡基嗣

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