政治

2023.01.25

中学生が手嶋龍一氏と学ぶ戦争の構造、プーチン戦争下「公然の密約」

東京都渋谷教育学園渋谷中学校の中学生がForbes JAPAN編集部に集まり、外交ジャーナリストの手嶋龍一氏を囲んだ

こうしてキューバ核ミサイル危機の13日間は幕を開けました。40代半ばの若さでホワイトハウスに入ったジョン・F・ケネディ大統領は、外交・安全保障に必ずしも十分な経験がないなかで、この未曽有の危機に立ち向かわなければなりませんでした。ケネディ大統領は、国務、国防、主だった補佐官、さらに“アメリカの賢者“と言われる人々をホワイトハウスの閣議室に一堂に集め、この危機にどう臨むか、その方策を協議したのでした。

この時、ケネディ大統領は、閣議室の机の下のボタンをそっと押しました。会議の模様を録音する装置を別室にしつらえていたのです。その事実を知っていたのは、弟の司法長官、ロバート・ケネディだけでした。

この閣議室や大統領の執務室で密かに収録されたテープは「キューバ危機の機密テープ」と呼ばれます。そして翌年、ケネディ大統領が暗殺されると、ケネディ家の手で持ち去られ、30年後に徐々に機密が解かれていきました。皆さんと視聴するドキュメンタリーは、13日間にわたる危機の日々を記録したこの機密テープに基づいて制作されています。

キューバ核ミサイル危機:事実関係その2

カリブの海に浮かぶキューバに持ち込まれた中距離、長距離ミサイルの存在が明らかになると、アメリカの軍部、とりわけ空軍は、直ちにキューバのミサイル基地を空爆すべしとケネディ大統領に迫ります。アメリカの喉元に突き付けられた、核弾頭を装備可能なミサイルを、外科手術的な空爆によって取り除いてしまうよう大統領に迫ったのでした。

キューバ空爆の急先鋒は、空軍トップの作戦部長、カーチス・ルメイ将軍でした。第二次世界大戦では、東京、大阪などへの無差別、大量爆撃を主導して、“空の英雄”と呼ばれた強硬派でした。後に明らかになったのですが、アメリカ軍が把握していたミサイル基地を攻撃して、アメリカ本土への脅威を取り除いたとしても、キューバの山中にはソ連製のミサイルが温存されていました。アメリカが空爆を敢行すれば、ワシントンやニューヨークは間違いなく核の報復を受けていたことでしょう。



ジョン・F・ケネディ大統領とロバート・ケネディ司法長官は、軍事作戦では確かにプロフェッショナルではありませんでした。しかし、グランド・ストラテジー、大戦略ということなら、軍人たちより大きな視野を持っていました。ケネディ兄弟は、この対決が決して米国とキューバにとどまらず、冷戦の主戦場と言われたヨーロッパ正面に飛び火する可能性があると懸念していたのでした。
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編集=石井節子 撮影=曽川拓哉

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