虚構か現実か 「エミリー、パリへ行く」が優れたフィクションである理由

『エミリー、パリへ行く』主演のリリー・コリンズ(中央、Getty Images)

エンタメついでに、「旧型」的世界に対する批判を強烈に展開している2月公開の映画も紹介します。スウェーデンのリューベン・オストルンド監督の最新作『逆転のトライアングル』です。原題は、「トライアングル・オブ・サッドネス(悲しみの三角形)」。ボトックスで簡単に治せる美容医療業界の用語だそうです。

格差社会やルッキズム、インフルエンサービジネスなど、とりわけラグジュアリー業界と関わりの強い現代の「症状」を荒々しく皮肉る映画です。2022年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞しています。

舞台は超豪華客船。モデル、インフルエンサー、ロシアの新興財閥、イギリスの武器商人などのセレブリティと、金のためなら何でも笑顔でやるクルーを乗せた客船上で、富や見た目の格差を前提とする人間社会の愚かしさや狂気が淡々と描かれます。


映画 『逆転のトライアングル』 Fredrik Wenzel (c)Plattform Produktion

「人間はフェアでなくてはね。だからあなたも私たちと一緒にプールに入って楽しんで」と言いながら、いやがる従業員(でも笑顔はキープ)を強引にプールに入れてしまうお金持ちマダムの傲慢さには、笑いを通り越して引き攣りました。新しいラグジュアリーの世界では不可欠な「フェア」という言葉も、雑で安易な解釈を流通させると暴力になりかねませんね。

この映画をフィクションとして笑い飛ばせないところがあるのは、先月の本連載で安西さんが紹介してくださった“タイタニック号の喩え”と直結したからです。

「航海中のルートに氷山があるにもかかわらず、我々はそれを知らないがごとくタイタニック号の船内で豪華なパーティーを繰り広げているのではないか?」

そのまま氷山を回避できなければ、船はどうなるのか? 現実世界では、具体的行動がとられているのかいないのかわかりにくいまま、「タイタニック号」は進んでいます。

映画では、豪華客船は難破し、生存者は無人島に漂着します。そこで頂点に立つのは、サバイバル能力に長けた地味なトイレ清掃員の女性でした。富やら美しさやらなんてここでは無意味。魚を捕れたり火を起こせたりする原始的能力の高さがものを言う。客船上のヒエラルキーは逆転し、「ここでは私がキャプテン」と清掃員の女性は支配者としてふるまい始めるのです。
 
映画 『逆転のトライアングル』 Fredrik Wenzel (c)Plattform Produktion

ここにもまたフィクションだからこそのブラックな面白さがありましたが、戦争のリスク、中国問題、自然災害の脅威、それと関連した環境問題、拡大する一方の格差という現状を見るにつけ、作り事として一笑に付して終わりにできない不気味なリアリティが印象として残ります。

虚構だからこそ指摘できる現状やそこから予測される近未来の姿。遭難しないためのかじ取りの方向が「新しいラグジュアリー」の目指す方向ですが、そのためにもまずは現状のおかしさに気づかなければ。

優れたフィクションは、現実をとらえるもう一つの視点を与えてくれます。この2つのフィクションもまた例外ではないと見たのですが、安西さんはどのように解釈されるでしょうか?
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文=中野香織(前半)、安西洋之(後半)

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