北米に大被害を与えた「エリオット」、冬の嵐は今後「当たり前」になる

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今週、北米大陸全体に吹き荒れた北極の大気が米コロラド州デンバーに流れ込み、穏やかな真冬の日から30年以上ぶりの寒さになり、気温は18時間足らずの間に21度も下がった。

冬の嵐「エリオット」は太平洋側の米国北西部から凍てつく雨、低気温、雪を全土もたらし、いつも太陽が照る南西部の一部だけが免れた。

米国立気象局によると、12月23日のある時点で米国民のほぼ4分の3が何らかの冬の気象警報または注意報の下にあった。何千便というフライトがキャンセルされ、何百万もの人々が停電の影響を受け、少なくとも12人がこの冬の嵐関連で死亡した。ほとんどの人は思い出深いものになるはずのクリスマスの週末のために雪かきや安全な場所への避難を余儀なくされている。

この状況が、長い目で見て珍しいことでないとなると話は変わってくる。

過去20年以上にわたって気候についての記事を書いてきた中で、私はこれが新たに出現しているパターンだということに気づいた。「歴史的な」「世代に一度の」あるいは「百年に一度の出来事」といった表現が、個々の気象現象を説明するときにあまり重みを持たなくなってきている。

例えば25年ほど前、米中西部が猛暑に見舞われた夏があった。当時、学生だった私が住んでいた町では数人が熱中症で倒れた。異常に暑い年だったと話題になった。気候変動に言及した人もいたかもしれないが、その暑さは異常で、気候システムの自然の変動とカオスの一部であるという前提だったように思う。

では、誰かが2022年の暑さを指摘し、気候変動だとか毎年暑くなっているようだといったコメントが返ってこないことを想像してみて欲しい。統計的に見ても、この分析は大きく外れてはいない。記録的な暑さとなった年の5年はすべて過去10年に入っており、その暑さは自然の変動によるものだという説明は説得力がない。

「世代に一度」の山火事、100年に一度の洪水、歴史的なハリケーンについても同じことがいえる。ある時点で、これらの言い回しを使うための条件を調整する必要がある。地球が新しい気候に急速に移行していく中で、人間が暴走する二酸化炭素排出をようやく制御できるようになるか、あるいは二酸化炭素に支配されるようになるまで、本当の意味で正常とは何かを知ることはないというのが真実だろう。
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翻訳=溝口慈子

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