「成長の限界」への挑戦
舩橋は22年7月、京都大学で開かれた人と社会の未来研究院「社会的共通資本と未来」寄附研究部門創設記念シンポジウムの基調講演で、ある図表を映し出した。世界地球規模の生物多様性の喪失を表す世界地図(Diaz and Rosenberg,2008)だ。人間生活が営まれている地域と生物多様性の喪失が見事に呼応している。
科学者たちは、半世紀前から警鐘を鳴らしていた。舩橋は1972年、ローマ・クラブが発表したレポート「The Limits to Growth(成長の限界)」のシミュレーション・グラフを示す。人間社会の指数成長を延長していくと、自然資源を食いつぶしてしまう。そして、汚染など負の外部性が拡大し、文明が破綻に陥ることを鮮やかにシミュレートしているという。
「DNAの構造や遺伝コードの解明、再生医療技術など、現代は人類史上これまでにないほど生物学が発展している時代なのに、同時に生物多様性はかつてないほど破壊されている。これは、大局的には生物学の“失敗”ではないだろうか」
2022年7月23日に京都大学人と社会の未来研究院「社会的共通資本と未来」寄附研究部門創設記念シンポジウムがハイブリッド式で行われた。特定の一民間企業からの寄付で運営されることが多い通例の寄附講座とは異なり、広くパブリックから研究者や寄付を募り参加してもらう、これまでにない形の寄附研究部門だ。発起人の一人であり、2022年9月まで京都大学の理事を務めた久能祐子(上)と、同寄附研究部門特定教授に就任した舩橋真俊(下)。人間社会はこれまで、生態系から搾取するかたちで発展してきた。自然界で100万年かけて進行してきた環境変化を、人間の手によると数百年、数十年で変化させてしまう。
そして、その生物学への危機感は、宇沢弘文が経済学へ抱いていたものと重なるのではないか、と舩橋は考える。
1950年代から60年代にかけてアメリカで経済成長に関する先駆的な研究などで名を馳せた数理経済学者の宇沢弘文。その宇沢が68年に日本に帰国後、公害や水俣病など開発による弊害を目の当たりにして精力的に取り組んだのが、市場の価値に偏重することなく、農業、医療、教育など人間社会にとって大事なものを社会装置として守っていこう、とする「社会的共通資本」の考え方だ。しかし、志半ばに2014年に他界することになる。
「宇沢さんは、20世紀後半というのは経済学の暗黒時代だと言い切っています。
ミクロな合理的過程をあらゆる経済活動に敷衍しようとして、人の自殺までもコストベネフィットで語る、そのようなマインドによって経済学を構築した結果、アメリカ国内も貧富の差が広がるばかりか、第三世界との格差も広がり、外部性にどんどん転嫁されて環境問題、具体的には水俣病、新幹線公害、原発問題などが起きた。そのことに非常に憤っていたようです」。同寄附研究部門の特定教授に就任した舩橋は言う。
「経済学の前提となっている土地、労働、資本という、生産の3大要素からごっそり抜け落ちている前提条件がある。例えば『清浄な空気』といったもの。自然科学者の視点から見るとすぐにわかるのですが、実はそれらが経済活動を支えています」。
宇沢は、ミクロ経済学とマクロ経済学をつなぐ数理モデルをつくる、という画期的な本流の仕事をしつつも、鋭くも「そこに空気の質が入っていないじゃないか」と気づいた、と舩橋は語る。
「社会的共通資本というのは“社会装置”なのですけれど、それをもう少し、自然資本、そして生物多様性全般まで拡張すると、自然-社会共通資本という文明装置が見えてくる。その研究と社会実装の両輪を回すというのが京都大学で私が行っている研究の趣旨で、特に実装現場のコミュニティ形成と連携しながら動いていきたいと思っています」。