「現地の植物を採取、購入して植えて、あとは基本的に収穫管理しながら水をやるだけ──簡単な話に聞こえますが──実際簡単なのですが、欧米からトラクターを持ち込んだり、肥料や農薬に依存する農業システムを輸入し、結果的に土をダメにする、という悪循環に、いままで多くの支援が陥ってきたのです」(舩橋)
2015年、アフリカ西部サヘル地域、ブルキナファソでの「協生農法」の実証実験の様子。
細分化された生物学への疑問
舩橋は神奈川県大磯町で社会学者の両親の元に生まれ育ち、東京大学で生物学、数理科学を修める。獣医師免許の資格も取るが、学生のころからずっと抱いていた違和感、舩橋の言葉を借りると「隔靴掻痒」な思いは消えなかった。東京大学の専門課程の生物学は、極度に専門分化され、舩橋が取り組みたかった「“生命”をいかに輝かせるか」といった命題とは程遠いものだった。
「特にいまの生物学では──私はあえて『生命科学』ではなくそう呼んでいるのですが──生命を扱うのではなく、生命の物質的な側面、ミクロに見て機械論的な側面を扱っている。具体的に言うと分子生物学ですが、分子の生化学や熱力学的な機械として説明できるものに、すべての生命現象の解釈を押し込めようとしているのです」
2020年2月、新型コロナウイルスが発生した当初、舩橋は南アフリカのジンバブエにいたが、その時思い出したのが、獣医師の勉強をしていたころ、専門家にぶつけた質問だ。「私が学生だった20年前は、鳥インフルエンザが出始めて、まだあまり人には感染していなかった。
私がはっきり覚えているのは、家畜や野生動物において強毒化しているウイルスがやがて人にも大規模に感染することはないのかとの質問に、人獣共通感染症の分野の権威の教授の答えは『いままでこれらのウイルスにおいてそのような宿主域変動が起きたエビデンスはない』でした」。
専門家の立場に立てば、宿主域の変動というのはもちろん将来的にはありうるかもしれない、しかしいつどの宿主域の変動が起こるかというのはなかなか予測できない“悪魔の証明”(※ないことを証明する難しさをいう)で、それを考え始めたら『何かあったらどうするんだ』と架空の心配を膨らませることになってしまう。
新型コロナウイルスが発生した時、その答えを「自然界からもらった気がした」と舩橋は話す。
「そもそも人獣共通感染症というけれど、大本の生態系、生物多様性とのかかわりをどう考えるのかや、開発によって生物多様性が損なわれることで生態系のバランスが崩れる問題、またそれによって生まれる人類と未開の環境の野生生物との接触、眠っているウイルスとの接触をどうコントロールするのかという問題は、実験生物学の研究室では、ほとんど考えられていない」
舩橋は2006年、東京大学を後にし、フランスへ渡る。エコールポリテクニク大学院にて物理学の博士号を取得する傍ら、世界各地の学生や研究者たちと共に、複雑系科学にかかわるヨーロッパ規模の研究プロジェクトにも複数参加した。2010年には、アカデミアよりも広い視野で研究と社会実装にかかわることができる、ソニーCSLの研究員となる。
そこで取り組んだのが、自然生態系に備わった機能や性質を生かし、人間活動をコストではなくレバレッジに転換する「拡張生態系」の理論構築と、その実践方法としての「協生農法」だ。
生物多様性の破壊の原因の最たるものは、実は食料生産──農業だ。具体的には近代以降に発展したモノカルチャーに依存した食料システムの仕組み、そしてそれに立脚した大量消費社会を変えない限り、サステナビリティを達成することは難しい。
アフリカに目をつけたのは、複雑系科学、群集生態学といった知見を基礎に、物理学の知識を活かしてソニーCSLでつくった数理モデルのシミュレーションの結果、日本のような恵まれた温帯の気候よりも、砂漠化の危機に瀕している厳しい環境の方が、協生農法の色々な利点が活かせるのではないか、との理論的な予測が立ったからだという。