一人は、子供が早く成長して自分と肩を並べるまでになってほしいと望む父、もう一人は、あまり早く大人になってほしくない、自分の庇護の元にいてほしいと望む父。
未成年の息子に「ま、正月くらいいいだろ」とビールを勧めるお父さんは前者、夜遅く友達の喧嘩の仲裁に行くという息子を心配するお父さんは後者だ。一人の父親の中にこの両者が存在している。
時を経て父は、大人になった彼を心配することなどないのだと悟るだろう。しかし息子の側から見て、まったく異なる価値観をもつ父が実際に二人現れてしまった場合は、どうなるだろうか。一人は自分を大人の世界へと誘うが、もう一人は大人の世界から自分を引き剥がそうとする。どちらも彼にとっては大切な父だとしたら。
『ブロンクス物語 愛につつまれた街』(ロバート・デ・ニーロ監督、1993)は、そんな「二人の父」との関わりを息子の回想を通して描いたドラマである。
冒頭は1960年のブロンクス。軽快なドゥーワップが流れる中、舗道の椅子でくつろぐ男たちやスポーツカーに相乗りした女の子たち、それを冷やかす悪ガキたちなど、イタリア系移民の街が活写される。同時に、バスの中の黒人から彼らに投げられる険しい視線など、黒人差別による人種間の軋轢も示唆されている。これはアングロサクソン系ではない移民たちの物語だとわかるプロローグだ。
9歳のカロジェロ(フランシス・キャプラ)は、街の中でも目立った存在である”顔役”ソニー(チャズ・パルミンテリ)に密かに憧れているが、父ロレンツォ(ロバート・デ・ニーロ)からは、彼らの溜まり場であるバーに近づくなと強く戒められている。
上等なスーツを着込み葉巻を咥え、いつも部下を引き連れて揉め事を解決し、悠然とした構えのソニー。一方バス運転手のロレンツォは、親子3人で小さなアパート暮らし。同じ大人の男なのにどうしてこんなに差があるのか。
「理想の父」ソニー
どちらの方がカッコいいのか。どちらが「正しい」生き方なのか。
幼いカロジェロから見て答えは単純明快だ。通りで憧れのソニーと偶然目が合い、微笑みかけられた時、カロジェロの中で彼はあらゆる夢と正義の象徴にまで高められた。ロレンツォは現実の父だが、ソニーは理想の父なのである。
少年を外の世界に連れ出そうとする男と、内に引き止めようとする男。この対比は、ソニーを演じるチャズ・パルミンテリとロレンツォを演じるロバート・デ・ニーロの顔立ちの違いにも明確に現れている。
ソニー役を演じたチャズ・パルミンテリ(2022年)
間隔の開いたギョロ目に丸い鼻、分厚く大きな唇のパルミンテリの顔はパーツが外に広がっていて、いかにも豪胆な印象を与える。それに比べるとデ・ニーロの顔の作りは求心的に整っている分、禁欲的に見える。生き方がその顔を形作ってきたかのように、対照的である。