木村の話し相手、山田が思い出したように「こん度の連中は死刑になりたがっているから、死刑にしない方が好いというものがあるそうだが……」と言うと、もうひとりの犬塚が「そうさ、死にたがっているそうだから、監獄で旨い物を食わせて、長生きをさせて遣るが好かろう」と笑う。これに対し、木村はフランスとイタリアの無政府主義者の名前を数え上げ、「随分盛んに主義の宣伝に使われているようですね」と言い足した。
劇作家の永井愛氏はこれを「正攻法では被告らを救えないと見た鷗外の、究極の変化球」と新聞に書いている。
鴎外が日記に書き残していない、3つのこと
永井氏の戯曲『鷗外の怪談』(2014年初演)は大逆事件を題材にし、鷗外の公私にわたる葛藤について、妻しげと母峰との嫁姑関係をめぐる葛藤を織り交ぜながら、ユーモアとペーソスあふれる作品に仕上がっている。
芸術選奨文部科学大臣賞を受賞したこの戯曲のWeb上の宣伝文句が、今回のテーマを言い当てている。
「あの人は誰にも心の内を見せない。一緒にいればいるほどどういう人だかわからなくなる」
江戸末期に典医家系の長男として生まれ、5歳で「論語」を素読し、8歳でオランダ語を学び、15歳で東京大医学部本科生となった頭脳。維新後の文明開化・富国強兵時代をエリート軍医として過ごした時代の制約。そしてなにより、サムライの魂を持つべく母子密着で培った受動的心性。
長じては、ドイツ語を日本語と同じ感覚で読み書き話した人の「心=脳」に迫るには、同じ程度の脳力が必要だとしたら、鷗外へのアプローチは蜃気楼を追う旅人のようなものなのか。
1つのヒントを永井氏がまとめてくれている。
『鷗外の怪談』(而立書房)あとがきで「鷗外の心に終生深く漂いながら、決して日記に書かれなかったことが三つあるという」と記す。
1つが、少年期の津和野で見ただろう藩によるキリシタン殺害。
2つは、ドイツ留学時代の恋人エリーゼ・ヴィーゲルトの存在。
3つは、今回言及した大逆事件で平出修に協力し、社会主義・無政府主義の知識を授けたことと元老山県有朋の永錫会に参加し、両主義の取締り相談に乗っていたこと。
精神分析では、幼少時のトラウマ体験は成長後、無意識に押しやられて見えないが、大きなストレスに直面すると別の形で意識の水面に浮上してくるという考え方をする。この「抑圧」をどう扱うかが、私たち精神科医に求められているスキルだが、鷗外の「抑圧」されたトラウマをもう少し続けて探っていきたい。次回以降のテーマとして。
「大切なものは目に見えない」──『星の王子様』より。
連載:記者のち精神科医が照らす「心/身」の境界
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