私が尊敬するのは……プロ野球監督の野村克也さんです。
楽天イーグルスで働いていたころ、チームミーティングを後方で何度か聞く機会がありました。
そこで初めて「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という野村監督の言葉を耳にしました。起業後、その言葉に立ち戻る場面が何度かありましたが、事前の情報収集から戦略の数値化、またその都度浮き上がってくる課題の要素分解や本質的解決など、地道な準備や改善、そして仕組み化を追求することを通じて負けない経営を意識してきました。
これからも変わり続けるために、学び続けます。(南 壮一郎 ビジョナル代表取締役社長CEO)
2022年、プロ野球セントラル・リーグで首位を独走していた東京ヤクルトスワローズ(7月11日時点)。その試合を観戦するとすぐにあることに気づく。
それはヤクルトの守備。内野手といわず、外野手とはいわず、ヤクルトの選手たちは、相手バッターによって、目まぐるしくしその守備位置を変えるのだ。相手バッターを分析、そのデータを基にして考え出された守備位置なのだ。当然、投手もたたき込まれたデータを基にして、守備位置に即した投球をする。
この「データ野球」で球界を席巻するヤクルトを率いるのは、現役時代、救援投手として名をはせた高津臣吾。1990年にヤクルトスワローズ(当時)に入団し、4度の日本一に貢献した。その高津に、“勝つ野球”を、そしてそのためのデータの重要性と選手の起用法をたたき込んだのが、当時ヤクルトの監督を務めていた野村克也その人だった。
「日本を代表する抑え投手になれ!そのために“遅い”シンカーを覚えろ」
野村のこのひと言が、高津の野球人生を変えていく。先発投手だった高津は、抑え投手となり、野村の予言通り「最優秀救援投手賞」に4回も選ばれる。
延々と続く練習と、根性論がはびこる野球界に、データの重要性、投手の分業制度、積極的な選手のコンバートといった概念をもち込んだのが、野村だった。その意味では、野村は日本野球界の“革命児”だった。
「素人監督」とせせら笑われ……
“カン”や“読み”に頼っていた打者に、野村は「次にどんな球が来るかわかっているのか」と問う。けげんそうに首を振るその打者に、野村は言うのだった。
「次はストレート。その次もストレート。その次はスライダーかな」
そして、おもむろに自らのノートを引っ張り出しては、その投手の出塁ランナーがいる場合といない場合、そして試合が前半の場合と後半の場合など、あらゆる状況を想定し、その時々の投手の投球パターンを選手に教えて見せた。
選手らは、目をむいて驚いていた。
「そんなことがわかるのか」