宇宙に飛び立つ日を待つ人工衛星を見て、宇宙の虜に
せりか:ところで、小野田さんはどうしてJAXAに入構されたのですか。JAXAに入る以前から、宇宙開発には関心がありましたか。
小野田さん:良い質問ですね。大学を卒業してJAXA(当時は宇宙開発事業団、NASDA)に入ったのは偶然でした。もしかしたら必然とも呼べるかもしれませんが。
私は大学で国際関係論を学び、特に環境分野に関心があったので、環境問題に取り組んでいるような機関に進みたいと思っていました。関連の機関をあちこち見て、矢継ぎ早にエントリーをしていたところ、NASDAから電話がかかってきました。これは私がエントリーしたからなのですが、開口一番に「宇宙開発事業団です」と言われると驚いて、電話を切ってしまいました。怪しい団体なのかと勘違いしてしまったのです(苦笑)。父親に相談して、政府の機関だと認識しました。その後、人事の担当者がもう一度連絡をくださったので、採用選考に進めました。
最初はそんな感じだったのですが、出身大学のOBに話を聞きに行ったり、筑波宇宙センターに見学に行ったりするうちに宇宙に興味が出てきました。クリーンルームで、これから宇宙に行く衛星を目の当たりにすると、もう虜になってしまって!私がやりたいのはこれだ!と思いました。
無事にJAXAに入ることができ、一度は大学に戻るために離れた時期もありましたが、ずっとJAXAで仕事をしています。私が関心を持っていた環境問題にもずいぶん取り組ませていただけて、自分のやりたいことを多くやらせてもらったなと感じています。
せりか:宇宙に行く衛星や機器に見入ってしまうのは、私もわかるような気がします!どんな人工衛星のプロジェクトに参加されましたか。思い出に残っている出来事はありますか。
小野田さん:印象に残っているプロジェクトは3つあります。まず、地球温暖化やオゾン層の破壊などといった地球環境をモニタリングするためのデータ地球観測プラットフォーム技術衛星「みどり」(ADEOS)です。
最近は小型の衛星が増えていますが、みどりは3トンを超える大型の衛星です。大型の衛星には多くのセンサを搭載できるので、海外の宇宙機関との共同プロジェクトを実施できます。NASAやアメリカ海洋大気庁(NOAA)、欧州宇宙機関、フランス国立宇宙研究センターの皆さんと一緒に衛星を作り上げていく過程は、やはり一体感が生まれましたね。
それから、陸域観測技術衛星「だいち」(ALOS)のプロジェクトにも参加しました。
だいちが観測したデータは容量が大きく、当時の日本の技術では処理能力が追いつきませんでした。なので、各国の宇宙機関と協力し、データの処理を分担して、ユーザーに届けていました。データの処理技術が進歩していく過程を見られたのも良かったです。